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荒く息をつきながら、エルフィスは右手のナイフを落とす。それからポケットに手を入れ、取り出した小さな鍵をエイリアの方へと放った。足枷の鍵だ。
彼女は慌てた様子で、もどかしげに鍵を外して駆け寄ってきた。
「――何という無茶を!!」
涙目で咎めるように言うエイリアの大きな声に顔をしかめながら、エルフィスは彼女が身体に巻きつけているシーツの端を取り上げる。
「ちょっと端っこ貸して」
適当に丸めると、それを口に銜えてきつく噛み、左掌を貫通するナイフを引き抜いた。脳天まで突き上げるような激痛に視界が白み、噛みしめた歯の間から押し殺しきれない苦悶の呻きが洩れる。傷口から湧水のように溢れ出す赤い血が、震える指を伝って床に溜まり、広がっていった。
その手をやや乱暴に取り上げられ、エルフィスは気絶しそうになった。見ると、エイリアが涙を零しながら両手で傷口を包みこみ、胸元に掻き抱いている。
「もう……こんな事はしないでください……」
淡い光が零れ、暫くの後に痛みが引いていった。おそらく治癒の魔法なのだろう。
「……ありがとう」
礼を言うとエイリアは激しく首を振った。
「私の方こそ……助けていただいて、ありがとうございました。それから、ずっと誤解していて、ごめんなさい……」
瞳を潤ませて見上げてくる彼女を暫く見つめていたエルフィスは、何度か瞬きすると不意に顔を近づけ唇を重ねた。
「んんっ!?」
急な出来事に思考が追いつかず身体を硬くしたエイリアの顔が、やがて徐々に赤くなる。慌てて唇を離して数歩後退すると、
「ななな何をするのですか、突然!?」
「可愛かったから、つい」
しれっと言うエルフィスに、頭から湯気でも出しそうな様相で、
「……やはり貴方は、よく分かりません」
俯きながらエイリアは呟いた。
エルフィスは踵を返した。そろそろエイミーを安心させてやろうと思ったのだ。
開きっ放しの扉へ向かうと、エイリアもついてくる。扉をくぐったところで、
「……派手にやったもんだね」
階段口の方から声が聞こえてきた。
振り返ると、僅かに顔を青ざめさせたアマルダが佇んでいた。エルフィスは彼女に、自身の血で濡れたナイフを向ける。
「あんたも、俺から奪うの?」
アマルダは向けられたナイフに――というより、それを握るエルフィスの目に息を呑んだ。昨日まで一緒に暮らしてきた者たちを殺し尽くしておきながら、狂気の片鱗すら身受けられない平静そのものの瞳だ。
彼女が目を閉じ、ゆっくりと首を振ると、エルフィスもナイフを下ろした。そのまま床に落とす。
自室の扉をノックして呼びかけると、エイミーは、いつでも開けられるように鍵を差しこんだ状態で待機していたのかと思うほど、すぐに扉を開けた。血塗れのエルフィスに一瞬身体を硬直させるが、その後ろにエイリアの姿を認めると、震えながら涙を零し始めた。
「ぅわあああああああん!!」
そして、血に汚れるのも構わず飛びついてくる。
――のでエルフィスはそれを躱して、エイミーをエイリアに任せた。顔から突っこみ、もぎゅ、などという鳴き声を洩らす彼女を他所に、アマルダの方へ向かう。
「出来れば奴隷たちを解放したい。それとも、あんたは、まだこの商売を続けるの?」
姐さん、という呼び方をしない事で、自分の意思を示したつもりだった。
アマルダは苦笑とも嘆息ともつかない吐息と共に、奴隷棟の鍵を差し出す。
「潮時ってやつさ」
そして、存外すっきりとした表情で微笑んだ。
鍵を回すと、扉の向こうの気配が変わる。いつの間にかエルフィスも、それが分かるようになっていた。
扉を開けると、だいたい一人か二人は逃げ遅れた者がいるものだが、今日に限って言えば常にも増して災難だったろう。血塗れのエルフィスの姿に、二人の少女が喉を引きつらせる。
苦笑して、アマルダが前へ出た。
「全員、家へ帰る準備をしな!」
彼女たちは――そして、それぞれの部屋から顔を覗かせた女性たちは無言だった。聞き間違いか、性質の悪い冗談か。何にせよ疑っているのだろう。
「安心なさい。貴女がたをここへ縛りつける枷は、もう存在しません」
そう言ってエイリアが声をかけると、彼女たちはザワめいた。御使い様だ、という声が聞こえてくる。
「……どういう事?」
一人の女性が歩み寄ってきた。エルフィスがこの屋敷へ来た日に、彼を介抱してくれた女性だ。
「枷はないって……あの男たちは?」
「俺が殺した」
エルフィスの言葉に、彼女はギョッとしたような表情になる。が、
「……そのナリじゃ、まるっきり嘘って訳でもなさそうだね」
「見たければ案内するよ」
遠慮しとく、と彼女は頭を振った。
「明日になったら、あたしが馬車で全員を大きな街まで連れてくから、今夜中に準
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