荒野を過ぎれば、街道の周辺には緑が増え始める。向かう先には風化し傾いた木製の看板が見えた。といっても、何が書かれている訳でもない。最寄りの町までの距離や時間を大雑把に表すためのものだ。
 この国の街道には、何処にも、こういった看板が設置されている。王家の指示なのだそうだ。看板の劣化具合を見るに、ここも遠からず新たな看板に交換されるのだろう。
 看板が設置されるのは、最寄りの町まで成人の平均的な歩みで約一刻(二時間)の地点である。それを確認してから、青年は街道脇にあった木蔭へと腰を下ろした。たかが一刻、といって先を急ぐのは、コンディションを崩す事にも繋がる。休む時にはしっかりと休むのが、旅をする上で重要な事なのだ。
 荷物の中から水筒を取り出し、口につける。生温い水を喉に流しこみながら視線を動かすと、少し離れたところで金髪のリザードマンも身体を休めていた。日陰に入ればいいのに青年から距離を取りたいのか、陽射しの下で荒い呼吸を整えている。
 殴るにせよ蹴るにせよ、内臓にダメージを与えるようなやり方はしていない。彼女の疲労は、ダメージが抜けるのを待たずに無理して動いているせいである。
 鞘に納めた剣を杖にして、引きずるような足取りででもついて来るシファを、青年は放置していた。若干の不快感はあるにせよ、害はないのだし。
「……要るか?」
 とりあえず声の届く距離だった事もあり、青年はシファに向けて水筒を掲げて見せる。顔を上げた少女は一瞬、表情を明るくしかけるが、すぐに真っ赤になって眉を吊り上げた。
「ふ、ふざけるな! 誰が貴様、の――施しなど受けるか」
 音が聞こえそうな勢いでソッポを向く。何か、途中で言おうとした事を無理やり差し替えたようにも見えたが、青年は、それ以上気にしなかった。
「そうか」
 水筒をしまい、立ち上がる。土や草を掃って歩き出した。ふっ、と下腹に力を入れるようにして、シファも立ち上がる。
「それで……一体いつまで、ついて来るつもりだ?」
 背を向けたまま訊く青年に、シファは僅かに怯んだように身構えた。
「……リザードマンの習性は知っているだろう」
 相手が自分を見ている訳でもないのに、赤くなった頬を隠すように顔を背ける。リザードマンは自分より強い男を夫とするのだ。つまり、いつまでついて来るのかと訊かれれば、ずっと、と返さざるをえない。死ぬほど恥ずかしいので、遠まわしな表現になったが。
 それでも前を行く青年には伝わったらしく、うんざりしたような溜息が聞こえて来た。
「剣で勝った訳ではないが?」
「それでも……負けは負けだ。私が甘かったのだからな」
 大真面目な声音で言うシファに、青年は再び溜息をついた。
「迷惑な話だ」
「そんなに邪険にしなくてもいいだろう。それより、名は何というんだ?」
 下手に話しかけてしまったせいだろうか。シファの態度は、これまでに比べると随分と馴れ馴れしいものになっている。
「さあな」
 不愉快さを隠さず言うと、少女はムッとしたように眉間にシワを寄せた。
「私は名乗っただろう!」
「一方的に、な。俺は、お前の名になど興味はないし、こちらが名乗る必要性も感じない」
 すげなく言い捨てる。
「ふ、不便だろう。呼び名がないと」
「呼ばなければいい」
「くっ――」
 ここまで取りつく島のない人間には、シファは会った事がなかった。というか、魔物を含めても初めてだ。何とか一矢報いたい、と必死で思考を巡らせる。
「だったら勝手に呼ぶからな! 名乗らない貴様が悪いんだぞ!」
 もはや背後で喚く少女に応える事すら億劫になったのか、青年は完全に無視を決めこむ事にしたようだった。


 町に辿り着いた青年は、宿を探して大通りを歩いていた。町の規模に比べると人通りは少ないように見えるが、時間を考えると本格的に人が出て来るのは、もう少ししてからだろう。
 リザードマンの少女は、相変わらず彼の後について来ていた。時折まわりの人々から視線を向けられているが、それは別に、町中に魔物が入りこんでいるからという訳ではない。いちおう親魔物側に属するこの国では、決して珍しい風景ではないのだ。
 ならば何故かといえば、脇目もふらず前を行く男と、不自然な間を空けながらも必死で彼にくっついて行く少女の醸し出す雰囲気が、何処か野次馬的な好奇心を誘うからである。仲のいい友人同士が共通の知り合いである第三者の片想いを知った時のような、という喩えは、喩えになっていないかも知れないが。。
「おい、サンドリヨン」
 何故か不思議と見飽きない背中に、シファは呼びかけた。だが青年は全く反応せず、その歩むペースも変わらない。
「おい、無視するな!」
 仕方なく足を速め、相手の腕を取る。まるで今、ようやく気づいたかのように青年は振り返った。
「俺の事だっ
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