一章

      ※

 教会は荒れ果てていた。
 祭壇には土足で上ったような土のついた足跡が残り、聖印は引き摺り倒され換金できそうな祭具は殆ど持ち去られている。
 礼拝に訪れた者たちが座る長椅子も、倒れたり割れたりしていた。
 それらにこびりついた赤黒い血は致死量には遠く、それだけが彼女にとってのせめてもの慰めだった。
 誰もいない無音の教会を引き摺るような足取りで出、やはり誰もいない村を呆然と眺める。
「……何故…………?」
 呆然自失のまま、我知らず誰に向けられたともない疑問が唇から零れた。
 彼女を待っているはずだった――そして彼女もまた待っていたはずの人物は、何処にもいなかった。

      ※

 山の上には小さな村がある。
 特に名産品がある訳でも観光資源に恵まれている訳でもない、のどかな村だ。
 村人たちは日の出と共に起きる。畑を耕し、家畜の世話をし、下らない世間話をし、家族で食卓を囲む。そんな、何処にでもある日々を送るだけの村だ。
 けれど、いつも外から来た誰かがいる村だった。
 その村には小さな教会がある――御使いが降臨した教会だ。
 かつてこの村を一人の青年が訪れ、その彼を迎えるように教会には御使いが降臨した。そして青年は彼女と契約を結び、仲間を集め、この国を邪悪から救ったと伝えられている。
 何処にでもあるようで、その実、大半が眉唾である事が多い、勇者の伝説というやつである。
 以来、神父が一人いるだけのこの教会は、遠くから巡礼に訪れる者が後を絶たないのだった。

 村へ至る道は、山の外周を螺旋状に上って行くように設えられていた。
 とはいえ、斜面に段差を作っただけの道だ。馬車が通れる程度の道幅はあるが、転落防止用の柵すらない。
 ここ何日かは雨が続いていたな、とドルムスは山へと目を向けた。
 見上げてみても、ここから道は見えないが、その下――彼らの目の前には土砂が積み上がっている。雨で地盤が弛み、崩落したのだろう。
 一緒に落ちたのか、それとも既に崩れた所に引っかかってしまったのかは分からないが、土砂の周囲には馬車が転がっていた。あちこち砕けて原形を保っていないが、それでも馬車と分かったのは馬と御者が死んでいたからだ。
「お頭……」
「……ああ」
 窺うような部下の呼びかけに、特に意味もない呻きを返す。
 死んでいたのは馬と御者だけだった。湿った土の上には一人の少年が倒れている。青みがかった銀色の髪――巨大な氷塊が内側から仄かに色づくような髪色だった。見た目には、二十歳には届かないだろうと思われた。
 服装は珍しくもない旅装だった。荷物も少ない。少し離れた所に転がっている刃渡り五十センチほどの片手剣は、彼の物なのか御者が護身用に用意していた物なのか。
 少年は息こそあったが、頭からは血を流している。転落の際に何処かにぶつけたのだろう。
「……どうするんだい?」
 部下の中でも一番つき合いの長い者が、視線を向けてきた。
 ドルムスは暫く考えこみ、不快げに一つ舌打ちをする。
「ふたり残って傷の手当てをしろ。そのあと屋敷まで運んどけ」
「部屋は、どうしやすか?」
 言われて気づいた。空室はあるが、使っていない部屋の掃除など滅多にしない。流石に、怪我人を埃塗れの部屋に寝かせる訳にもいかないだろう。自分のような人間が他人を気遣うなど何の冗談かとも思うが、拾うと決めた以上、役にも立たないまま死なれる訳にはいかなかった。
 ドルムスは溜息を一つ。
「奴隷どもに適当に世話をさせとけ」
 言い置いて歩き出す。
 彼らは奴隷商人。旅人や辺境の集落から女を攫い、調教して王侯貴族に性奴隷として売り飛ばす事を生業としていた。


 その屋敷は不自然だった。
 部屋数が三十を超える事とか、人里離れた平原にポツンと建っている事ではなく、一定の距離に近づくと、感覚が鋭敏な者なら空気が変質したような感覚を覚えるという点において。
 それは、抑制結界と呼ばれている。神の祝福を受けた祭器を用いて展開される、魔力を持つ者を無力化する結界だ。戦士たちが魔物に後れを取る事のないように開発されたもので、それが流れ流れてこの屋敷の持ち主の手に渡り、今に至っている。
 鍵の開く音に続いて、勢いよく扉が開かれた。住居となっている屋敷の玄関ではなく、屋敷内の――奴隷たちが隔離されている棟へ続く、渡り廊下の扉だ。
 その奥は彼女たちが比較的自由に使えるようになっているが、鍵の開く音を耳ざとく聞きつけたのか、全員がそれぞれの部屋に引き籠もってしまったようだった。
 二人の男の片方が忌々しげに舌打ちをする。
「おい、誰かいねえのか! 返事しやがれ!!」
 苛立ち紛れに壁を蹴りつけ、
「出て来いっつってんだよ! 怪我人がいるから、手前ぇらのとこの空いてるベッドに寝か
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