その学校には、妙な行事がある。二年生に進級すると、登山部員でもないのに、全員が問答無用で往復三日の山登りを強制されるのだ。
学校の周辺には田畑が広がり、ほど近い所に二千メートル級の山々が連なっている。そんな立地と、心身ともに健全な生徒の育成を掲げる学校側の方針により、この行事は伝統となっていた。
健全な魂は健全な肉体に宿る、といえば聞こえはいい。健全な肉体作りのために時間を割けば、相対的に他の事――邪な事をしている余裕はなくなるのだから、そういう意味では間違いではないのだろう。
しかし伝統に目の曇った学校側は、この言葉の表面だけを盲目的に信じてでもいるらしく、一ヶ月前から体育の授業をただひたすら走るだけの体力作りに変更し、生徒たちの不興を買っていた。行事に積極的な年配の教師たちなど、兎跳びが奨励されていたり、運動の途中で水を飲んではいけないなどと言われていた時代から生き残る古代生物扱いである。
不満を爆発させた生徒たちにより地味に退学率の上がる時期でもあり、行事が終わるまでの短期間の不登校に陥る者もいた。
(……で、まあ――そんな思いまでしておきながら、はぐれている訳だ)
枝ぶりのいい木の根本に座りこんで、ショウは頬を伝う雨水を手の甲で拭った。山の天気は変わりやすいとは聞いていたが、ここまでとは思わなかった。
もともと今回の登山は天候に若干の不安を残していた。しかし思考まで筋肉と化した学校側は、予定を強行したのだ。
彼らが単に楽観的だっただけなのか、人は気合で天気を変えられると本気で信じる狂人だったのかはショウには分からない。どちらでもいい、というのが正確か。
とはいえ、そのシワ寄せが自分に来るのは理不尽だと思った。金銭がらみの大人の事情があるらしいという噂は生徒たちの間でも囁かれていたが、そんなものは知った事ではない。
空を見上げれば、僅かではあるが雨は弱まったようだった。他の生徒たちとはぐれたときのような、辺り一面を煙らせて一メートル先すら判然としないほどの勢いはなくなっている。
ただ、代わりと言ってはなんだが、風が出てきていた。横から雨滴に打ち据えられ、雨宿りの意味は殆どなくなっている。
(場所、変えないと……)
出来れば洞窟のようなものがあればありがたかったが、風を遮る事が出来るなら、岩陰のようなものでも文句はなかった。とにかく、体温が下がる事は避けたい。夏の雨だからと侮ってはいけないと、事前学習で言われていた。
ショウは腰を上げ、水やら簡単な食糧やら着替えやらが入ったリュックを持ち上げる。まだ初日なためか中身も多く、背負うと肩紐が食いこんだ。
風は強く、吹く方向が一定ではなかった。右から左から煽られながら、転ばないように足を踏ん張り、木の幹に手をついて進む。
しかし水を吸った山は、それまでとは全く違っていた。土は弛んで足元を不安定にさせ、苔むした木の幹は思わぬ瞬間に滑る。
パキ、と小枝を踏む音と共に足裏から伝わってきた妙に柔らかい感触≠ノ、脳内で警鐘が鳴らされる――が、遅い。
(しまっ――)
そう思う間もなく地面が滑り、ショウは為す術もなく斜面を滑落していった。
※
何かを得るには代償が必要とされる――いつ何処で聞いたのかは憶えていなかったが、そんな言葉を何となく思い出していた。
どれほど滑落したのかは分からないが、俯せるショウの眼前には、ぽっかりと洞窟が口を開けている。岩肌を覗かせるそれは、ただの穴とは違って間違っても崩れそうにない。
「…………」
ショウは上げていた顔を伏せて溜息をついた。助かったとは思うのだが、その代償が無数の打撲と擦り傷――加えて泥まみれになるというのは割に合っているのかどうか。
転がっていても仕方がないと思い、のろのろと立ち上がる。滑落中に肩紐が切れたらしい、やや離れた所に転がっているリュックを拾って、洞窟へと足を踏み入れた。
洞窟の内壁は土がこびりついたりしているものの、外から見た通りの丈夫そうな岩肌だった。奥行きは、かなり深い。
再び雨が強まってきているのに気づき、ショウは三メートルほど進んで腰を下ろした。ここまでは、雨も吹きこんでは来ない。
直後、閃光と共に雷鳴が轟く。
「……一晩中、降りそうだな」
轟音の影響か、その独り言は少し聞き取りづらかった。
ショウはリュックから水筒を一つ取り出す。まともな手当など望むべくもないが、せめて傷口の泥くらいは洗い流しておきたい。飲み水が減るのは痛いが、丸二日以上、降り続きでもしない限りは大丈夫だろう。
一通り汚れを落とし、取り出したタオルで水気を拭う。リュックの中まで水が入っていないのが幸いだった。硬いビスケットを始めとした乾燥食料も、少しずつ食べれば数日は持つだろう。
「
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