冷たい雨の降る夜だった。
両親と外食の約束をしていた僕は、待ち合わせの時間に間に合うように家を出た。
傘にバラバラと勢いよく当たる雨の音を聞きながら、水溜まりを避けて歩く。町に人通りは少なく、見かけるのは帰宅を急ぐ者たちばかりだった。
共働きの両親は忙しく、あまり家にいる事がない。朝早く、夜遅い生活だった。
それでも母親はちゃんと食事の用意をしてくれ、たまの休日には父親が遊んでくれる。少なくとも公私を両立させている――させようとしているという意味では、まともな親だろう。事実、彼らを知る者たちからは、賛美の声を聞く事も珍しくない。
まともではないのは、僕の方だった。
正直、そんな彼らの行いの意味が理解できないのだ。
仕事が忙しいのなら、そちらへ注力すればいい。子供など作らなければ、負担が増加する事もなかった筈だ。少なくとも、忙しい合間を縫って子供の機嫌を取るように外食をしようなどと意識を割く必要は生じなかっただろう。
彼らは一体、何が欲しかったのか。
有能な仕事ぶりと愛情深い親としての顔をアピールして、名声でも求めていたのだろうか。
(……どうでもいいか)
考えたところで、答えなど出ない。出たところで、何が変わる訳でもない。
所詮この世に望んで生まれて来る者などおらず、誰もが誰かの都合で勝手に産み落とされるのだ。そして『育ててやった恩』とやらを押しつけられ、たかが血が繋がっているだけでしかない他人への恭順や老後の世話まで強制される。たとえ望まれた子供ですら、『生まれて来てやった恩』などという言葉を口にする権利は永遠に与えられる事はない。
それでも一人で生きる力がないうちは、彼らから与えられる金銭の代償として服従するしかないのかも知れない。或いは、他人の都合で与えられたものでしかない命を、せめて死に様くらいは自分で決めて、それを絶つか。
両親の仕事場には、まだ煌々と明かりが点っていた。時間よりも早く到着してしまったらしい。
入って行ったところで怒られる事はないだろうが、わざわざ邪魔をする事もないだろう。良い親アピールに付き合わされるのも面倒だったし、巻き込まれる他の従業員も憐れだった。
そう判断した僕は、傘を差したまま建物の入口の脇で待つ事にした。
目の前は大通りになっていて、先程から時折、傘を差した人々が速足で通り過ぎて行く。中には、濡れるのも構わず走って行く者もいた。
視界の端でゆっくりとランプの明かりが揺れ、見れば親子連れが歩いている。一つの傘の下で身を寄せ合って、何かを話しながら笑い合っていた。
幸せな風景――なのだろう、おそらく。
けれど、やはり僕には解らなかった。なぜ彼らは、そんなにも笑っていたのか。何が、そんなに嬉しいのか。
傘を叩く音が大きくなる。雨足が強まったらしい。
そんな中に立ち尽くしているのが虚しくなって、僕は溜息をついた。こんな事なら事前に、雨が降ったら中止という事にでもしておけばよかった。
人通りも途切れ、雨音だけが辺りを包む。視線を巡らせてみても、動くものはない。
と――ふと左隣を見たところで、僕は動きを止めた。いつの間にか現れていた小さな人影が、僕と同じように壁を背にして立っていた。髪の長さだけ見れば、女だろう。
全身ズブ濡れで、たっぷりと水を吸った長い髪が額や頬、首筋に張りついている。服はボロボロで、もはや服というよりボロ布を身体に巻いていると言った方が正確だろう。顔は見えないが手足は薄汚れていて、よく見れば足元は裸足だった。
ボタボタと大粒の雨が、まるで打ち据えるように少女の頭に降り注ぐ。あまりに大粒な事に違和感を覚えて見上げてみると、そこには窓があり、その上に申しわけ程度に張り出した庇(ひさし)があった。
もしかしたら、雨宿りのつもりなのかも知れない。しかし庇の幅では後頭部ぐらいしかカバー出来ず、結果的に庇を流れ落ちるうちに集まった大きな雨粒が頭を直撃する形になっていた。
それでも、彼女は微動だにしなかった。特に俯いている訳でもなく、大通りの方へ顔を向けている。
けれど、そちらに何かがある訳でもない。というか、何かを見ている訳ではないのだろう、と何となく思った。
バラバラと雨が傘に当たる。その音を暫く聞きながら、やがて僕は諦めたように小さく息を吐いた。
驚かせないように、ゆっくりと移動する。彼女の隣へ。
思い出したのは、先程の親子連れだった。思い出しただけで、だからどうという事でもないが。
ただ、今の僕には傘と時間があって、その時間が尽きるまでなら傘を半分貸すくらいしてもいいかと思ったのだ。
有り体に言うのなら、ただの気の迷い。僕の中に、彼女への憐れみの気持ちは皆無だった。
ようやく自分の頭に雨が当たる感覚がない事に気づ
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