室内には、薬缶で湯を沸かす音だけが響いている。倒れたジークはベッドで眠っており、その傍らにはメルシャがついていた。湯が沸いたのを確認し、フォルトゥナは組んでいた腕を解く。それをマグカップへ移し替えて寝室へ向かうと、彼女の気配に気づいたメルシャが不安そうに顔を上げた。
「すまないが、起こしてくれ。薬を飲ませなければ」
「それ、何ですか?」
フォルトゥナの持つ、掌に乗るサイズの布袋に視線を留め、訊く。
「知人が調合してくれた薬だ。専門的な事は分からないが、万能薬だ、と当人は言っていた」
メルシャはジークを優しく揺すってみるが、彼が目を覚ます様子はなかった。
「無理に起こすのも、よくないんじゃないでしょうか」
「とはいえ、このまま寝かせておいても弱る一方だしな……やむをえん」
フォルトゥナは湯冷ましの入ったカップを手に取る。
「無理やり飲ませよう」
スプーンで掬った薬と湯冷ましを自らの口に含み、寝ているジークと唇を重ねた。
「あ……」
思わずといった感じで声を洩らしたメルシャは、ハッとしたように背を向けた。何故か、見たくないと思ったのだ。
「ん……むぅ、ふ……」
なかなか飲みこまないジークに焦れ、彼の鼻をつまむ。反対の手を相手の喉に当てていると、やがてそこが動くのを感じた。
「ふぅ……やっと飲んだか」
唇を離す際、互いの唇同士が擦れて少しくすぐったかった。フォルトゥナは口の端に垂れる液体を指で掬い、舐める。途端に顔をしかめた。苦い。ジークは眠っていて正解だったかも知れない。
「メルシャ。口の周りを拭いてやってくれ――なぜ背中を向けて耳を塞いでいる?」
「え!? は、いえ、何でもないです!」
慌てて振り返ると、ハンカチでジークの口の周りを拭い始めた。フォルトゥナは不思議そうに眉根を寄せると、部屋を出る。
台所の棚に薬を置くと、ちょうど外からクレムが入って来たところだった。
「薪割り終わったっスよ。温かくしてやりましょう」
「ああ。すまないな、怪我人なのに」
「いえいえ、メルシャみたいに腕折れてる訳でもないんで」
そう言って彼は、暖炉に薪をくべ始めた。
そのまま火を見つめているクレムの背を眺め、フォルトゥナは椅子に腰かけ脚を組む。何か話したそうな雰囲気を感じたのだ。そんな彼女の気配に気づいたらしいクレムは、やがてポツポツと話し始める。
「あいつ……ずっと、あんな気持ちを抱えて生きてたんスね」
「誰にだって、秘めたものはあるさ」
「でも……気づいてやれなかった。いちばん近くにいた筈なのに」
「万能ならぬ身だ。あまり悔い過ぎるのも、傲慢というものだろう」
気休めにすらなっていないのを自覚した上で、正論しか吐けない自分に、フォルトゥナは歯痒さを感じた。何処まで行っても、これはクレム自身の問題。どれだけ他人が知った風な事を言ったところで、解決する問題ではないのだ。
納得した訳ではないのだろうが、暫く黙っていたクレムは、気分を変えたいのか、別の話題を振って来た。
「そういや、あの槍どうしたんスか?」
「そこにあるぞ。持ってみるか?」
軽い調子で壁を指差すフォルトゥナに、クレムがギョっとしたような表情で振り返った。その顔が可笑しかったので、彼女は少しだけ微笑う。
「大丈夫だ。お前のような人間は、絶対に、この手の魔具の犠牲にはならない。殆ど対極にいるからな。相性が悪すぎる」
「……ホントっスか?」
それでも不安そうなクレムに、太鼓判を押すように頷いて見せる。
「ああ、断言しよう。他の誰が魅入られようとも、お前だけは絶対に魅入られる事はない。賭けてもいい」
「へぇ……なに賭けるんスか?」
冗談めかしたようなフォルトゥナの物言いに、クレムも便乗するように悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「そうだな……一日、私の身体を自由にしていいぞ?」
「よっしゃ、頑張れ俺! 魅入られろ。今すぐ!」
「馬鹿もの……」
おそらく、暗く沈みそうな気持ちを何とか明るい方向へ向けようという、彼なりの抵抗なのだろう。そう思いながらフォルトゥナは、苦笑して窘めた。
と、不意に家の外が騒がしくなった事に気づき、二人同時に顔を上げた。
「客の多い日だな、朝っぱらから」
嘆息する彼女の言葉を掻き消すように、男性の大声が聞こえて来る。
「出て来い、ドラゴン!!」
僅かに震える声だった。無理もない。
「ふむ、ご指名か」
椅子から立ち上がり、ドアを開けて外へ出る。数人の男性が武器(と農具)を手に、一様に恐怖と怒りを滲ませた表情を向けて来ていた。
「早朝の訪問は許容するとしても、出て来いというのは随分と礼儀正しい事だな」
「……ジークは、どうした」
男達は彼女の言葉になど耳を貸さない。ドラゴンは悪。そう思いこんでいるからこその反応だった。
(……ジークの方
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