第三章 群狼

 木立を突き破り、山道に躍り出る。目の前には修道服で着飾ったリーズが尻もちをついていた。彼女の正面で奇怪な姿をした女がにじり寄っている。俺はすぐさま鉈を振り回しながら二人の間に割って入った。女は俺の姿を一瞥すると、素早く飛びのいて俺の一撃を躱した。

「ユベール」

 背後で声を上げるリーズを背で隠す様に立ちふさがって、正面の女を見据えた。
 一見するとボロ切れを身にまとっただけの女に見える。だが、四肢は毛で覆われ、頭部には犬のような耳がぴんと立っている。これは人間の姿をしながらも人間を食らう狼の魔物、人狼(ワーウルフ)だ。

「あら、ダンディな叔父様だけじゃなくて、可愛い坊やまでいるのね。今日は大量だわ」

 鉈の切っ先を向けられてもなお、人狼は余裕綽々と言った様子で頬を釣り上げる。その背後で人狼と同じ格好をした女たちの人だかりが蠢いていた。そこからは女の嬌声とともにクレメンテさんの呻き声が聞こえた。クレメンテさんが襲われている。そう悟った瞬間、怒りで体が震えた。

「リーズ、早く逃げろ」
「でも……」
「いいから!」

 背後にいるリーズに向かって叫んだ。幾何か逡巡するような間があったが、すぐに遠ざかる足音が聞こえてきた。あとはクレメンテさんを助けるだけだ。俺は鉈を右手でしっかりと握りしめた。傷跡がずきりと疼いた。

「見かけによらずカッコいいじゃないの。お姉さん、昂るわ……」

 舐められている。挑発だというのは理解していても、血が上った頭は衝動に任せて身体を人狼に突進させていた。鉈を振りかぶり、駆ける勢いを乗せて切りかかる。だがその切っ先は空しく空を切るだけで、容易く人狼に躱された。降ろし切った腕に力を込めて、逆袈裟で追撃をかける。軋んだ右腕が傷んだが、歯を食いしばって振り上げる。それでも刃は届かなかった。

「ほらほらこっちにいらっしゃい」

 誘うように手を広げて、人狼は後ろに下がっていく。その背後でクレメンテさんに群がっていた人狼達がこちらを向いた。俺を視線に捉えると、歓声を上げて次々に立ち上がった。

「皆で気持ちよくなりましょう」

 そう言って目の前の人狼は嗜虐的な笑みを浮かべる。その周囲に他の人狼が並んだ。

「わ、かっこいいオトコノコじゃん」
「こっちを睨んじゃって、可愛いのね」
「美味しそー」


 嘲笑うように呟きながら、人狼達は俺を取り囲むようににじり寄ってきた。数を増していく人狼達を見れば俺の分が悪いのは明らかだった。鉈を構えながら距離を空けるように二三歩後ずさりする。このまま逃げようか、と臆病な考えが頭をよぎる。人狼に集られているクレメンテさんはどう考えても助かりそうにない。わざわざこの人狼の群れに立ち向かう必要なんてないのだ。だけど――
 俺は依然として視線を人狼に向けたまま、背後を伺った。俺が背して立ち塞がる山道は村へと伸びている。すぐ後ろに人の気配はない。だが、この先をリーズが逃げている筈だった。
 ――後ろにはリーズがいる。そこに人狼達を向かわせるわけにはいかない。
 意識を正面に戻すと、俺は改めて人狼達を見据えた。もう後ろに下がることもしなかった。

 人狼達が足を踏み出すその瞬間に合わせて、俺は鉈を上段に振りかぶって駆け出した。向かうのは左端から背後に回ろうとしている人狼だ。完全に囲まれる前に、その端を打ち崩す。
 人狼に一気に接近し、雄叫びとともに鉈を振り下ろす。だが、人狼は後ろに飛びのき、一閃は届かない。追撃――いや違う。鉈を返すと振り向きざまに背後を薙ぎ払った。案の定、隙を突こうとした人狼達が後ろから俺に接近しているところだった。もっとも、距離はまだ開いており、薙ぎ払いは空振りに終わる。攻撃が届かない歯痒さに舌を打つ。右腕の鈍痛が増していった。
 鉈を振り切ったところで背後で気配がした。先ほどうち漏らした人狼の気配だ。俺は鉈を振りかぶると、振り向きながら唐竹切りを図った。身を翻した時には、人狼が鉈の間合いまで接近していた。余裕ぶっていた顔が苦々し気に歪む。必中を確信し俺は体重を乗せて鉈を振り下ろした。ぶうん、と切っ先が空を切り、鉈が重力に加速されて打ち下ろされる。そこに何かを打ち砕く手ごたえはなかった。
 人狼は超常的な反応で俺の攻撃を捉えると、人間ならざる身のこなしで渾身の一撃を躱したのだ。避けた先は右。依然として鉈の間合いにいる。逆袈裟で追撃すべく、降ろしきった鉈に力を込める。途端に右腕に激痛が走った。閉じた筈の傷跡から血が噴出する感覚がした。それでも俺は渾身の思いで刃を返す。痛みかき消すように声にならない声を上げながら鉈を振り上げた。
 激痛を伴った一閃は、逆袈裟には遠く及ばない。右腕は上がりきらず、胴の高さを力なく薙ぎ払う。当然、そんな弱弱しい軌跡が人狼に届くはずがな
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