線を引く。白いキャンバスの生地に、鉛筆で線を引いてく。一つ、二つ……幾度となく走らせて太い線を描いていく。線と線をつなげて形を作っていく。
放課後の美術室、いつもの席で僕は絵を描いていた。ただそれだけに集中していた。真っ白なキャンバスの上に鉛筆を走らせて、形を描く。真っ白な世界に輪郭を描いていき、そして頭の中の景色をキャンバスの上に浮かび上がらせる。窓の向こうのグラウンドの声も、どこかの部室から聞こえる吹奏楽の声も、果てはキャンバスを滑る鉛筆の声すら忘れて僕はその行為に没頭していた。没頭しなければならなかった。
今、キャンバスに描いているのは単なる風景ではない。顧問の課題を無視して、ただただ僕が描きたいと思ったものを描いているのだ。それをするには雑念を排除しなければならない。そうしなければ思い描く光景が零れ落ちてしまう。この題材はそれほどまでに僕の心を満たし、溢れそうになっていた。
大雑把に動かしていた鉛筆を、少しずつ細かくしていく。次第にキャンバスの上に浮かび上がる陰影は下書きと呼ぶには緻密すぎる。だが、僕は構わず鉛筆を動かし続けた。もう絵筆を重ねるつもりはなかった。鉛筆線画で終わらせるつもりだった。もとより溢れ出す思いを形にするだけの手慰みだ。それにはこれで十分だ。
息を止める様な細かな書き込みを終えて、僕はようやく鉛筆を置いた。背もたれに体重を預けて一息つく。そのとき、キャンバスの向こうのカーテンが外に吸い出された。中から外へ流れる空気の奔流。その風がふわりと嗅ぎ慣れた香りを届けた。それは甘い甘い、あの香り。
「何描いてるの、カーくん」
背後から姉の声がした。ひたりひたりと足音を立てて僕のすぐ後ろに迫ってくる。
「あ、もしかしてお姉ちゃんの絵を描いてる?」
僕の肩に手を置いて、姉は言った。僕は答えずにキャンバスを眺めた。
光の差し込む窓。それを背に立つ女性の姿がキャンバスには描かれている。荒い下書き紛いのタッチで描かれた黒髪の女性。顔は逆光の影で淡く潰している。だが、その下に刻まれた筆跡をたどれば、その表情まで読み取ることができるだろう。逆光の中、軽く微笑む女性。僕を誘う様に目を細める彼女は、まぎれもなく僕の姉だった。
「まだ描いてる途中だよね? お姉ちゃんがモデルになったげる」
僕が答えずにいると、姉は前に躍り出て、絵に描かれた通り窓の前に立った。これまで夢に見た通りの、一糸まとわぬ姿を逆光の中に浮かび上がらせる。ともすればグラウンドから見えてしまうかもしれない。それを気にしているのだろうか、微かに背後を気にしながら、僕にはにかんだ笑みを見せた。
僕は転がしていた鉛筆を取ると、残っていた体の部分に滑らした。
「裸んぼのまま描かれるのは、お姉ちゃん、ちょっと恥ずかしいな」
姉は恥ずかしげにつぶやく。僕はキャンバスから目を離さずに答えた。
「いいさ、僕しか見ないから」
「でも、絵にしたらそのまま残っちゃうでしょ、そしたら誰かに見られちゃうかなって」
「いや、僕しか見ない」
鉛筆を止めて僕は答える。姉が何かを言いたげに息を吸った。言葉が吐き出される前に僕はつづけた。
「燃やす。完成したら、焼却炉に行って、燃やす」
吐き捨てるように言って、僕は鉛筆を滑らした。また途中の腰回り、下腹部の陰影を臍から下の曲線を意識して描いていく。
「なんで、なんで燃やしちゃうの? せっかく描いたのに」
鉛筆は突き出た腰骨から太腿を描いていく。逆光が回り込んで浮かび上がる白い線を残すように、一際濃い影を乗せていく。キャンバスの向こうで姉が声を上げた。
「ねえ、どうして?」
「燃やしたいから」
僕は鉛筆を止めて答えた。
「燃やして、消してしまいたいんだ。この絵を、この絵に込めた僕の想いを」
そう言い切って、僕はキャンバスの向こうを見据えた。僕の視線の先では、いつもは蠱惑気味に笑っていた姉が狼狽した姿を見せていた。その姉の姿をした女に向けて僕は続けた。
「夢でいいから、姉さんに好きって言ってほしかった。夢でいいから、家族ではなく恋人として、一人の男として、好きって言ってほしかった。でも、駄目なんだ」
鉛筆を握る手に力が入る。僕は叫ぶように言った。
「駄目なんだ! 姉さんはあくまで姉さんで、血のつながった僕の家族で、そして恋人がいるんだ。僕じゃない別の誰かが」
近親姦と略奪愛。ただでさえ重い禁忌が二つも重なってしまえば、もはやどうにもできなかった。
聞くところによると魔物娘の家族であれば近親姦など関係ないらしい。だが、生憎ながら姉も僕も人間だ。未だに古い血の因習に囚われている。家族がそのまま恋人になることはあってはなら
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