茂みの向こうから草をかき分ける音が聞こえた。矢をつがえた弓を音の先に向けると同時に親父の声が飛んできた。
「ユベール! 白襟がそっちに行った!」
白襟は先週から村に姿を見せたはぐれ狼だった。全身が黒い毛並みに覆われているのに、どういうわけか胸元から生えた白い毛が首回りを囲んでいた。それが襟に見えたから俺たちは白襟と呼んだ。
尾を下げて、ひっそりと姿を現した白襟は恐る恐るといった様子で藪間から村を覗いていた。家畜に被害が出ることを恐れて狩人が呼び出されたのは三日前のことだった。
初日と二日目は白襟に手玉に取られ空振りとなった。だが、今日ついに俺の親父が白襟を捉えたのだ。
狙い定めた矢じりの先は下草に覆われて見通すことができない。だが、白襟が草をかき分ける足音は確かにその向こうから聞こえていた。
あたりには濃厚な獣の臭いが漂っている。臭いがするということは、こちらは風下だ。
目の前の下草が大きく揺れる。その刹那、黒い影が飛び出した。俺は矢を放った。びゅん、と風を切る音と共に、飛び出した影が弾かれたように下草の向こうに消える。揺れる下草のわずかなざわめきが残った。
びいん、という弦の残響を聞きながら、俺は茂みを見つめた。手応えはあった。一瞬だけ姿を見せた影には、白襟らしい模様もあった。ひとしきりざわめきが収まるのを待ってから俺は思った。仕留めた、と。
大きく息をついてから、俺は構えていた弓を下した。緊張の糸が解ける音を感じながら、俺は影が消えた茂みに向かって足を踏み出す。
これでしばらく村を騒がしていた白襟の話も終わりだ。襟模様のついた毛皮を持って帰れば誰もが喜び、白襟を討ち取った俺をほめてくれるはずだ。リーズはなんと言ってくれるだろうか? ぼんやりと考えながら腰に吊るしたナイフに手を伸ばす。その時、目の前の茂みが揺れた。俺が少女の笑顔から現実に引き戻された時には、茂みから飛び出した黒い影が飛びかかってくるところだった。
地面に押し倒された俺の顔に獣の生暖かい吐息がかかる。目の前には目を血走らせた狼が大口を開けていた。首をやられる。咄嗟に猟犬がシカを襲う姿を思い出した俺は右手で首をかばう。想像通り喉を狙ってきた狼の牙が俺の右腕に突き刺さった。そのまま狼は首を振り回し傷口を引き裂こうとする。あまりの痛みに俺は奥歯をかみしめる。だがその間に空いた左腕が腰元のナイフに手が届いた。依然として狼は荒い鼻息を立てながら俺の右腕をかみしめている。そのわき腹に俺はナイフを突き立てた。くぅん、と鳴き声を上げて狼は牙を離す。狼が怯んだその隙に、俺は足を狼の腹に押し当て、そのまま突き飛ばした。
ようやく自由になれたが、依然として狼はまだ存在する。俺は素早く立ち上がると、背負っていた鉈を鞘から取り出した。だが、右腕はジンジンと痛み、鉈の重みに耐えられそうもない。鉈を左手に持ち替えながら正面を見据えると、白い襟模様がついた狼が唸り声を上げていた。肩には矢を生やし、脇腹にはナイフの柄が飛び出ている。にもかかわらず目の前の狼は血で染まった牙を見せて俺をにらんでいた。
「ユベール、どうした!?」
狼の背の向こうから親父の声が聞こえてきた。だがその距離は遠い。助けが来るのはまだ先。ここは俺一人で仕留めなければならない。
意を決めた俺は確かめるように一歩踏み込んだ。白襟は間合いを取るように後ずさった。もう一歩。また俺が踏み込むと白襟もまた後ずさる。更に――。俺が一歩踏み込もうとしたところで、白襟が飛びかかってきた。俺は臆さず足を踏みしめて、掲げた鉈を振り下ろした。
確かな手ごたえとともに、くぅん、という狼の声が聞こえた。
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