放課後の美術室で僕はぼんやりとグラウンドを眺めていた。窓辺に頬杖をついて、スポーツに精を出す運動部達の掛け声を聞きながら吹き抜ける風を浴びる。幽霊部員の方が多い美術部に、このゆったりと流れる時間を邪魔する人間はいない。その筈だった。
「先輩、何してるんですか?」
突然後ろから声をかけられた。振り返ると後輩の御影鏡子が興味津々といった形でこちらを見ていた。
「鏡子ちゃんか。いや、グラウンドを見てたんだよ。文化祭の出し物の題材になりそうだと思って」
「そうでしたか。確かに陸上部の女の子たちの姿は絵になりますからね」
鏡子は納得した面持ちで窓辺に駆け寄ると、そのまま身を乗り出してグラウンドを眺め始めた。
正規部員が碌にいない弱小美術部にとって文化祭は数少ないイベントだ。顧問の先生は春の時点で半年先の文化祭の出し物を考えろと言ってすぐさま職員室に戻っていった。数少ない勤勉な部員たちで協議した結果、準備時間も十分にあることから、学校の風景について絵にすると決めたのだった。
グラウンドを眺めれば運動部の様子が一望できる。丁度ケンタウロスの女の子が土煙を上げながらトラックを周回していた。眉目秀麗な彼女たちが白色や栗毛色の髪をなびかせながら駆け抜けるさまは絵の題材としてはもってこいだ。あるいはグラウンドの一角で砲丸を投擲する鬼やオーガの女の子の鍛え抜かれてた肉体美もよいかもしれない。汗を煌めかせながら重い砲丸を放り投げる様は躍動感にあふれている。同じ躍動感なら、幅跳びや高跳びで跳躍するワーラビットの女の子もありだろう。
「先輩はもう題材を決めたんですか?」
ひとしきりグラウンドを見渡した鏡子がくりくりとした目を僕に向けた。起伏の目立たぬ小柄な身体に、肩口で切りそろえた黒髪。丸顔で愛嬌はあるが、どこか垢抜けなさを感じさせる彼女の顔立ちは、今じゃめっきり少なくなった人間のそれだ。このご時世に魔物娘でなければ、魔物娘になろうともしない女性というのは珍しい。おそらく、魔物娘にならくとも深い愛で結ばれた両親のもとで育ったのだろう。僕がそうであったように。同じ人間同士だからだろうか、どういうわけか鏡子は僕になつき、ことあるたびに先輩先輩と呼んで後をついてくるようになったのだ。
「いや、まだ考えているところ」
そういいながら、僕はグラウンドから視線を外した。ちょうど良いタイミングだったし、これ以上見ていられなかったからだ。僕が見ていたのは陸上部の女子ではない。グラウンドの隅でひっそりと活動している数少ない男子の部活、男子サッカー部の練習だ。互いにパスを出し合い練習している傍らで、若干名の女子マネージャーたちが練習の手助けをしている。その中に艶やかな黒髪を垂らした女性が水筒を抱えていた。僕の姉だ。僕が視線を外したのはそこに一人のサッカー部員が駆け寄っていたからだ。見ないようにしていても、遠いグラウンドの片隅から男たちの囃し立てる声は聞こえた。
僕の姉には恋人がいる。
「よし決めた」
僕はそう言うと膝を打って立ち上がった。
「おお、決まったんですか先輩」
「うん」
目を丸くする鏡子に答えながら、僕は指で枠を作ると窓から2〜3歩後ずさった。
「教室の中から見たグラウンド! 影の差す教室と日の当たるグラウンド、この明暗。どうだろう?」
「運動部の人たちはどうしたんですか?」
「背景で、さりげなく」
「おおー」
質問に答えると、鏡子は感嘆の声をあげてうなずいた。適当なことを言っただけだがこうも感心されると心が痛む。
「とりあえずスケッチして見るよ」
そういいながら、僕はイーゼルを組み立てて、キャンバスを広げた。
「じゃあ、私はお邪魔しないように別のところで題材を考えてますね」
「そこまで気を使わなくても大丈夫だけど、ありがとう。いつでも相談しに来ててくれて構わないからね」
「いえいえ、こちらこそありがとうございます」
そう言うと、鏡子は美術室から出て行った。ぱたぱたという彼女の上履きの音が廊下の向こうへ遠くなっていく。やがてそれが聞こえなくなると、僕は大きくため息をついた。
人払いはうまくいき、美術室には僕一人しかいなくなった。正面から日が差す窓の向こうでは、相変わらず運動部の掛け声が聞こえる。キャンバスに鉛筆を走らせながら、僕はその声の中から姉の声を探していた。
姉に恋人ができていたことを知ったのは去年の秋も終わろうとしているころだった。文化祭も終わり、窓から外を眺めていると、今のような男たちの囃し立てる声が聞こえた。その声につられて僕が目を向けると、その先で珍しく怒鳴り声をあげる姉と、恥ずかしそうに頭をかく男の二人の姿がそこにあった。怒り
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