夢を見ていた。一目でこれは夢だと分かった。
目の前に女がいた。艶やかな黒髪を垂らした女性だ。一糸まとわぬ姿の彼女は豊かな胸も、すらりとくびれた腰も、そして緩やかな曲線を描く下腹部も、全て惜しげもなく僕に曝している。彼女はこんな姿で僕の前に現れたりはしない。だからこれは夢だと分かった。
「カーくん……」
女はにこりと笑うと僕の名を呼んだ。彼女はこんな甘い声色で僕の名を呼ばない。だからこれは夢だと分かった。だが、夢だと分かってなお、彼女に名前を呼ばれると胸の高鳴りを覚えずにはいられなかった。
「好きよ……」
そう言うと、彼女は両手を広げて僕の下に歩み寄ってきた。彼女はこんな蕩けた声で僕に愛を囁かない。だからこれは夢だと分かった。だが、夢だと分かってなお、彼女に愛を囁かれると、思わず心臓が音を立てた。高鳴る鼓動は夢の世界ですら僕から平静を奪い取っていく。
「好き」
ついに彼女が僕の胸に飛び込んだ。彼女はこんな無防備に僕に体を預けたりはしない。だからこれは夢だと分かった。だが夢だと分かってなお、押し付けられた双球の柔らかさに、彼女の存在を意識せずにはいられない。更に彼女から漂う甘い芳香が僕の鼻をくすぐるに至って、遂に僕の中で箍が外れる音がした。そう、これは夢。だから何も躊躇する必要はないのだ。
「カーくん……」
僕の胸元に収まる彼女は、僕の名を呼ぶと顎を上げて目を閉じた。彼女は僕に向けて唇を差し出したりはしない。だからこれは夢だと分かった。夢だからこそもう躊躇はしない。僕は両腕を回して彼女を抱き締める。火照った彼女の熱を自身に刻み付ける。そして、突き出された彼女の唇に――。
「和幸! 起きなさい!」
母の声で目を開けると、薄暗い部屋の景色が飛び込んできた。カーテンの隙間から一条の朝日が差し込んでいる。その光の中に漂う埃のきらめきを眺めながら、僕は夢から覚めたこと失望とも安堵ともつかないため息をついた。静かに下着の様子を探るが濡れてはいない。気になるのは朝の生理現象くらいだ。僕は階下の母に返事を返すと、しっかり下半身を落ち着けてからベッドを降りた。
階段を下りながら、僕は夢で見た光景を振り払おうとしていた。眼の前に浮かび上がる彼女の裸体。押し付けられた双球の感触。そしてなによりも抱き締めた温もりは、夢だと思っても脳裏に焼き付いて離れなかった。忘れようと念じれば念じるほどに、かえって意識してしまう。これが下半身を疼かせるだけならば問題にならない。問題は別のところにある。
ため息交じりに僕はリビングに入った。キッチンカウンターの向こうの母に朝の挨拶をかける。すると、脇から声をかけられた。
「カーくん、おはよ」
その声に僕の心臓はどきりと跳ねた。いっそ逃げ出したかったが、家族相手に無視するわけにはいかない。
「おはよう、姉さん」
いつも通りを装って僕は定位置である姉の対面に座った。美味しそうに朝食を頬張る姉は、艶やかな黒髪を垂らしている。そう、夢で見た女性その人だった。
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