第四章 永久就職

 昨日と同じ時間にトリスさんは店にやってきた。頬だけを釣り上げる得意げな笑みを浮かべて現れたこの大悪魔は、己の勝利を確信している様だった。昨日と同じく応接室に通すと、今度はルーを呼んで二人で対峙した。
 大悪魔は始めに俺を見据えた。

「改めて聞くが、ガストンよ、昨日のことはルーに伝えてくれたであろうな?」
「ええ、ちゃんと伝えておきました」

 俺が答えると大悪魔は鷹揚に頷いた。続いて彼女はルーに視線を移した。目が合った瞬間ルーの体がびくりと跳ねる。

「ルーよ、念のため聞かせてもらうが、昨晩ガストンに何を聞いたのかの?」
「はい、ガストンさんからは、トリス様がルーに屋敷に戻ってほしいと言われたと聞きました。あと、それを決めるのがルーであることも」
「宜しい。わしが言うた物と相違なしじゃ」

 ルーの言葉を聞いて、大悪魔は満足げに目じりを下げた。ここで一呼吸置くようにお茶に口をつけると、穏やかな口調でルーに問いかけた。

「では聞くがの、ルーよ、わしはお主を必要としておるのじゃ。昔のように戻ってきてくれぬか?」

 その口調は依然として穏やかだ。だからこそ俺は心の中で毒づいた。卑怯だと。荒々しい言葉で強いるでもなく、理屈をこねて逃げ道をふさぐのでなく、縋り付き、助けを願うように投げかける言葉。それは素直で優しいルーには何よりも突き刺さるだろう。俺よりも遥かに長い時間を共に過ごして築き上げた思い出を武器にした言葉でもある。横目で様子を伺うと、俯いたルーは唇をきつく結んでいた。
 葛藤を示すように机の下でルーの握りこぶしが震えていた。俺は目の前の悪魔に気づかれぬようにその拳を掌で包み込んだ。これはルーが決めることだとトリスさんは何度も言っていた。だから俺が口出しすることはできない。それでも俺がどうしたいか態度で示すことは許されるはずだ。俺はルーと一緒にいたい。ルーが笑うなら一緒に笑いたい。ルーが泣くなら一緒に泣きたい。そしてルーが悩むなら一緒に悩みたい。そして共に同じ答えにたどり着きたい。これからずっと、どこまでも。そのためにも、この手は絶対に離さない。思いを込めて彼女の拳を包む掌に力を込める。不意にルーが拳を開いた。俺の手を振りほどこうとするのかと思えば違った。そのまま手を返して、俺の掌を重ねる。そのまま指を絡めて、彼女は俺の手を握り返してきた。思わず首を向けると、彼女は頭を下げていた。

「ごめんなさい。ルーはガストンさんと一緒にいます」

 正面で大悪魔が目を見開いた。微笑から驚愕へ形相を変える。彼女が口を開く前に、俺はルーの肩を抱いて畳みかけた。

「ルーと結婚します。あなたの様な薄情者の所には行かせません。これは伴侶として、夫としての言葉です。これなら文句はないでしょう」

 俺が言い切るとトリスさんはあんぐりと口を開けた。一拍おいて口を閉じると、考え込むように目を閉じた。
 目の前で面子を潰す啖呵をきったのだ。きっと何か復讐の方法でも考えているのだろう。トリスさんは街を取り仕切る有力者でもある。最悪の場合、街から追い出されることもあるかもしれない。だがそれがなんだ。俺だって商人だ。店を取り上げられても、また別の場所で別の商いをするまでだ。かつてトカゲの尻尾切りにあい、枢機卿から禁制品取り扱いの罪を全て被せられて、着の身着のまま故郷を逃げ出した昔のように。街から街へ人目を忍んで渡りながら、懐に収められるだけのわずかな物品を運んで日銭を稼ぐ日々は確かに辛かったが、それを乗り越えたからこそ今の小さな城があるのだ。苦難を乗り越えて手に入れた店に愛着はある。だが、ルーを手放すことに比べれば、生涯の伴侶と決めたルーと別れることに比べれば、店を失くすことなど痛くもかゆくもないのだ。
 俺が決意を込めて見つめていると、目の前の大悪魔はにんまりと笑った。

「よくぞ言った。これぞわしが求めていた答えじゃ」

 そういって、トリスさんは声を上げて笑い出した。今度は俺たちが呆然とする番だった。厳しい言葉を予想して身構えていた俺とルーは揃って顔を見合わせる。困惑している俺たちをそのままにトリスさんは続けた。

「ようやくくっつきおったか。まったく手間をかけさせおって。ルーよ。元はと言えばお主が悪いんじゃぞ。お主がガストンに気があることなぞとうに見抜いておったわ。だのにわしがいくら水を向けても、二言目にはわしの名を挙げて断りおる。かくなる上は、わしも故に心を鬼にしてお主を追い出す他なかったのじゃ。おかげで薄情者とまで言われてしもうたわ。もっとも――」

 ここまでまくし立てたところで、トリスさんは満足げに微笑んだ。

「――それだけの甲斐はあったのう」

 そう感慨深げに呟いた後、トリスさんは俺をきつくにらんだ。

「よく聞けガストン。ルーは
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