これは、世界の東の果てにある列島ジパングの、紀州(キシュウ)という国に伝わるお話しです。
ジパングにはラミアのような身体で水の中を自由自在に泳ぎ、翼を持たないにも関わらず優雅に天空を舞い、時には天候さえも自在に操るという龍と呼ばれる強力な妖が住んでいます。
そしてキシュウの国の奥地にある汲満野(クマノ)と呼ばれる秘境には多くの龍が住み、清らかな水が絶えることなく辺りの土地を潤しているとして、この龍を水の神と崇める人々にとっての聖地とされています。
ジパングでは自ら龍に仕える神官となり、共に水の恵みを人々にもたらす事を願う数多くの若い修行者の男達が各地からこのクマノを目指し、その地への道を阻むように辺りを取り囲む険しい山や川を渡る過酷な修行の旅路に出る者達が絶え間なく現れているといいます。
ある時、安珍という若い修行者が白河という遠い国からクマノへと長い旅を続けておりました。この安珍が真砂という村を通りかかると、急に辺りが暗くなって激しい雨が降り出しました。そこで安珍が村で1番大きな屋敷に行き、朝になるまで泊めて貰えないかと頭を下げると、屋敷の主人は快くこの安珍という男を出迎えました。
「私の家は長年に渡り代々水神様にお仕えしてきた家柄でございます。水神様に仕える神官を目指すための修行とあらば、微力ながらも喜んで力をお貸ししましょう」
屋敷の主人がそう言うと、彼の後ろから小さな女の子が顔を出しました。歳は10歳くらいでしょうか。雪のような白い肌に白い髪で今にも溶けてしまいそうな儚げな佇まいの中にも、その瞳だけは燃える炎のような赤い光を宿しております。
「紹介が遅れましたな。この娘は私の1人娘で清姫と言います。ほら、清姫。お坊様にご挨拶しなさい」
「あの、き、清姫と申します」
清姫は瞳の色と同じように頬をほんのり赤く染めると、小さく頭を下げました。
「さて、長い道を歩いてきた所にこの大雨ではさぞお疲れでしょう。早速風呂を沸かさせますのでゆっくりとおくつろぎください」
安珍は屋敷の主人の言葉に甘え、雨水で重くなった装束を脱いで風呂に入ります。すると、風呂の戸が突然ゆっくりと開き、なんと薄い湯浴み着に身を包んだ清姫が入ってきました。安珍はそちらを見ないように慌てて目を反らしながら尋ねました。
「ど、どうなされました」
「お背中を流しに参りました」
清姫の言葉に、安珍は慌てて答えます。
「たまたま旅で通りかかった身でそこまでしていただくわけには参りません。それに、水神様に仕える神官となるため修行をする身。貴女のような娘さんにそこまでさせようものなら罰が当たるというものです」
「旅で汚れた身を水で清める事も水神様の神官となるには大事な修行のうち。それをお手伝いさせて頂く事は、水神様にお仕えする身として当然の務めでございます」
普通なら話が飛躍していると思う所ですが、清姫の言葉に籠る不思議な圧に気圧された安珍は、彼女に言われるがままに背中を向けて座りました。清姫はそんな安珍の逞しい背中をうっとりと眺めながら、宝物を愛おしむようにゆっくりと丁寧に洗っていきます。
「ああ、安珍様。水神様の神官を目指しておられるだけあって、随分と鍛えておいでなのですね」
一方の安珍はと言いますと、妖しげに囁くような声と背中に感じるゆっくりとした手つきに、清姫が風呂の戸を開けた時にわずかに見えた薄い湯浴み着に身を包んだ雪のような肢体が頭に浮かんで離れなくなってしまいました。彼は自らの身の内で邪な蛇が目を覚まし、脚の間でゆっくりと鎌首をもたげようとするのを感じます。
(いかんいかん。私は何を考えているのだ。水神様に仕える神官を目指す身で、手厚いもてなしを受けながらこのような浮ついた事を考えるなど。ましてや、相手は10歳になるかならないかという子供だぞ)
安珍は心の中でのたうつ邪な蛇を必死に振り払うと、取り繕うように後ろの娘に告げました。
「せ、背中を流していただくのはこれくらいで結構でしょう。それよりも私は長い道を歩いてきたので腹が空きました。夕餉の支度をしていただけるとありがたいのですが」
「そうですか……」
清姫は名残惜しそうに安珍の背中から手を離すと、そそくさと風呂の戸を後にしました。
そして清姫は廓(キッチン)に向かう前に、家の奥にある水神の祭壇の所へ向かいました。人目を気にするように辺りを見回し、誰もいない事を確かめると、水神の経典が収められた引き出しを開きます。しかし、清姫の目当てはこの経典ではありませんでした。彼女が勝手知ったる様子で引き出しの底をごそごそと探っていると、やがてカチリと音を立てて二重底が開きます。清姫は非常に思いつめた面持ちで、その二重底の下から古ぼけた書物を慎重に取り出していきました。
その
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