昔々あるところに、お金持ちの商人がいて、彼には3人の息子がおりました。長男は音楽とダンスが得意で、次男はすこぶる剣の腕が立つので社交界でも若いご婦人方の人気者でしたが、末の息子は家の中で本を読むのが好きな若者で、兄達のような人付き合いも殆どありませんでした。
ある時、この商人が持っていた船団がまとめて大きな嵐に遭い、まったく行方が分からなくなりました。商人は財産をほとんど失って立派なお屋敷も手放すことになりました。上の兄達は沈みゆく船からネズミが逃げるようにさっさとお金持ちのご婦人との縁談をまとめて相手の家に転がり込んでしまいます。末の息子にも彼の勤勉さを聞きつけたある学者が自分の養子に迎えたいという話を持ち掛けてきましたが、今は一番大変な思いをしている父を支える事の方が大事だと言って丁重にお断りし、父親と2人で田舎の小さな家に引っ越しました。
慣れない農具を手に持ち、決して広いとは言えない畑を耕したりしながら1年の間慎ましく暮らしていた父と息子でしたが、そんな父親の元に行方不明になっていた船の1隻が港にたどり着いたという報せが届きました。父親はこれで多少なりとも商売を再開できると喜びます。
「せがれよ。これから港に行ってくるが、何か欲しいお土産はないか。おまえにはここ1年の間ずっと苦労をかけたからな。どんなに高価な物でも遠慮なく言ってくれ」
商人はそう言いましたが、息子はたくさんあった船のうちのたった1隻が見つかったところでそこまでの品物は手に入らないかもしれないと考えました。
「それじゃあ、きれいな花を1輪持って帰ってきてもらえませんか。押し花にして本のしおりにしたいのです」
馬に乗って意気揚々と港へ向かった商人でしたが、港から出てくるときにはその表情は暗いものになっていました。戻ってきた船の船員達から聞いた話によると、彼らが乗った船団が大きな嵐に遭い、海の中に住むマーメイド等の魔物娘達が助けてくれたそうですが、余りに激しい嵐に彼女達も人間を助けるのが手いっぱいで、積み荷や船は殆どが流されたり壊れて使い物にならなくなってしまったとの事です。商人は魔物娘達に礼を言い、なけなしのお金から船員達の賃金を払いましたが、回収できた積み荷を全部売ってしまったとしても差し引きゼロかむしろ赤字なくらいでした。
商人はこれからどうすべきか悩みながら暗い森の中を進んでいましたが、突然激しい吹雪が彼を襲いました。どっちに進めば家に帰れるのか、あるいは一旦港に引き返せるのか全く分からなくなり、戸惑っている間にも冷たい風が容赦なく馬と商人から体温を奪っていきます。このまま行き倒れになるかと思ったその時、遠くに明かりのようなものが見えました。
慌てて馬を走らせると、そこには商人が予想していたよりも何倍も大きな城壁がありました。馬を城門の前に止まらせると、門が物々しい音を立てながら開いていきます。その向こうには真っ黒なドレスに身を包んだ貴婦人が立っており、同じく真っ黒なヴェールで顔をすっぽりと覆い隠していました。
「貴方の事情は既に承知しております。吹雪が止むまでお泊めいたしましょう。どうぞお入りください」
貴婦人はそれだけ言うと、商人をお屋敷の入口へ案内し、馬の手綱を受け取ります。
「おいで。おいしい干し草を食べさせてあげる」
彼女がそう言って馬を厩舎へ連れて行くのを見届けた商人はお屋敷の中へ入っていくと、食堂の暖炉で体を乾かし、テーブルに用意してあった豪華な食事を口にしました。彼は屋敷に入ってから、その持ち主であろうさっきの貴婦人はおろか、他の住人や使用人も誰1人見かけない事を不思議に思いましたが、身も心も疲れ切っていたので2階にある客室を探し出すと服を脱ぎ捨ててふかふかのベッドに身を投げ出し、ぐっすりと眠ってしまいました。
翌朝、商人が目を覚ますとベッドのそばに昨日脱ぎ捨てた物より立派な服が置かれており、それを着て食堂に向かうと昨日と同じようにおいしそうな朝食が用意してありました。
「船の積み荷を当てにできなくなった時にはこれからどうしようかと思っていたが、考えてみれば小さいなりに家と畑はまだ残っているのだし助けてくれる息子もいる。悲観するのはまだ早いかもしれないぞ」
ゆっくりと眠り、お腹を満たした商人は気持ちまで軽くなってきます。彼が屋敷から出てみると、昨日は吹雪で全く見えませんでしたが外には透き通った綺麗な川が流れ、真っ赤な薔薇が美しく咲き誇る見事な庭園がありました。商人はその光景に圧倒されます。
「なんてすばらしい。息子達にもこの景色を見せてやりたいな」
そう呟いた彼はふと、末の息子から花を頼まれていたことを思い出し、そこにある薔薇を1輪折り取りました。
その時です。どこからか大気を揺るがすようなうなり声
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