何日にもわたる王子様の婚礼の儀が終わった頃、街では奇妙な噂が流れていました。なんでもガラスで出来た靴を持った旅人が舞踏会に呼ばれた家々を回り、その靴にぴったり合う足の持ち主と結婚したいと言っているというのです。
「何それ。そんな怪しい奴がやってきたところで、試す以前に追い返して終わりでしょ普通」
妹から噂の話を聞いた上の継姉はこう答えましたが、下の継姉は首を横に降りました。
「それがね、その旅人ってのが実はここから山をいくつも超えたところにある広い領地を治めている、伯爵家のご令息らしいのよ。社会勉強のために従者も付けずにこの辺りの国々を回っているとかで、腕っぷしも強いらしくてね。この国の国境近くの山で山賊に襲われたらしいけど、剣1本だけでまとめて返り討ちにしちゃったんですって」
「ほんと? 相当な優良物件じゃない」
舞踏会では結婚相手を見つける事ができなかった継姉達ですが、もしそのご令息と結婚できれば将来の伯爵夫人。それも夫は剣術の達人かつ優秀な冒険者で武勇伝付きとなれば社交界でも大きな顔ができそうです。
「何としてもガラスの靴とやらにこの足をねじ込むしかないわね!」
色めき立つ継姉達とは裏腹に、その噂話に聞き耳を立てていた灰かぶりは真っ青な顔をしていました。彼だけは「ガラスの靴」という言葉の意味を知っているからです。伯爵令息だとかいうその旅人は、舞踏会の初日に王子様の前に現れた謎のお姫様が、翌日に現れて王子様と結婚した人物とは別人だと恐らく気づいているのだという事に。
それから更に数日が経ち、ついに灰かぶりの家であるお屋敷にも噂の旅人がやってきました。旅人は夜会に出るようなタキシードの上に旅行用のマントと帽子を身に着け、腰にサーベルを下げています。継母や継姉達が見た印象ではどれも見るからに仕立てのいいものを身体の一部のように見事に着こなしており、彼女達も確かにこの人は伯爵のご令息に違いないと一目で納得してしまいました。何より盗賊団を単身で返り討ちにしたという噂から山のようにごつごつした大男を想像していた継姉達にとっては、このご令息が中性的とも言える線の細い顔をした、優男然とした人物である事も嬉しい誤算でした。
灰かぶりが廊下からこっそり様子を伺う中、応接間では早速ご令息が持ってきたガラスの靴が置かれ、まず上の継姉が足を通そうとします。足はそのまま靴の中にすっぽり収まるかに見えましたが、まるで靴が足を拒んでいるかのようにかかとが引っ掛かってしまいました。
「次は私ね」
落胆する上の継姉とは裏腹に、今度は下の継姉が靴に足を通そうとスカートの裾を持ち上げます。しかしその時、継母が待ったをかけました。彼女は灰かぶりが様子を伺っている廊下に下の実娘を連れ出すと、台所に行って何かを取ってきました。それは、灰かぶりの父親が商人の仕事で霧の大陸から運んできた、大きくて分厚い包丁でした。
「お母様、それで何をなさるの?」
「あんたの足の先を削るのよ。見たところあんたの足はお姉ちゃんよりかかとが小さいけど、その代わりにつま先が大きいみたいだからね」
その言葉に下の継姉はたちまち真っ青になりました。
「何を言っているんです。冗談でしょう?」
「冗談でこういう事言うもんですか。この機会を逃したら、次にいつ条件の良い結婚話のチャンスが舞い込んでくるかわからないのよ」
継母は完全に目が座っています。継姉は慌てて逃げようとしましたが、その前に足を掴まれてその場に尻もちをついてしまいました。
「お母様、どうか考え直してください。そもそも、あの靴は透明なガラスで出来ているんですのよ。血まみれの足で履いたりしたらすぐに気づかれてしまいますわ(編注:これは内容の似通った別の類話が混同されたことによる齟齬と考えられています)」
継姉は涙目になりながら訴えますが、継母は聞く耳を持ちません。
「とにかく履いて見せれば後はどうとでも言いくるめられるわ」
継母は左手で継姉の足を床に押さえつけたまま、右手に握った包丁を振り上げます。そしてそれが降ろされるかに見えたその時、継母の後ろから彼女の右手を掴む者がありました。灰かぶりです。
「この。何をする」
「お姉さま、逃げてっ!」
灰かぶりの叫び声と同時に、彼に気を取られた継母の力が緩み、継姉はするりと逃げ出してしまいました。怒った継母は彼女の右手からまだ包丁を取り上げようとしている灰かぶりの鼻に思いっ切り肘打ちを食らわせます。そして痛そうに両手で鼻を抑える灰かぶりの頬をはたき、継母は叫びました。
「あんたは何も解っていない! この国でも私達が元居た国でも、女がいい暮らしをするには条件の良い男と結婚するしかないんだ。男達のお眼鏡に叶うような女か、そして父親や夫や息子がどんな男か。私達女はそれだけで評価さ
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