中篇

(難易度高すぎだろコレ……難易度高すぎだろ!)
 薄暗い部屋の中。アリオンの前には今、ハダリーS3がいる。両手足を縛られ、先程のように顔を床に擦りつけて。
 彼はあの告白の後で嫌だと断われるような鬼畜ではない。ないのだが、
「さあ、早く踏んで下さい」
「ど、どこを?」
「顔です。まず顔です。何よりも顔です」
 彼は今まさに鬼畜になろうとしていた。不本意だが。できれば止めたいが。
「さあ。さあ」
 ハダリーS3はこれ以上ないぐらい興奮した表情で、息を荒くしながら催促する。
(…す、素足で軽く踏めば…)
 アリオンが靴を脱ごうとした時だった。ハダリーS3の表情が再び凍る。
「何をしているんです、板金工アリオン」
「え?」
「何故靴を脱ぐんです。よもや、遠慮しているのではないでしょうね」
 冷たいその声に、彼は自分が叱責されているのだと気が付いた。
「さ、さすがに靴を履いたままじゃ…」
「ダメです。そのまま踏んで下さい」
「ええ?!」
「御安心を。我々の耐久性は十分です。遠慮なく踏んで下さい。この顔を潰すぐらいに」
「でも」
 彼にとっては耐久性云々の問題ではないのだ。だがハダリーS3はなおも続ける。
「殺す気でかまいません。顔に抵抗を感じるのなら腹部を蹴ってもかまいません。乗ってもかまいません。気持ち悪いとお思いでしょう?思う存分罵って、その嫌悪感をぶつけて下さい。どうか」
 叱責が指南となり、ついには懇願になった。先程までの彼女からは考えられない位に切迫した声だった。
「へ、変態だ」
 それは職場で同僚をおちょくるものとは違う、軽蔑を滲ませた驚愕の言葉だった。
 思わず漏れた本音に、しまった、と慌てて口を覆う。すぐに謝ろうとしたのだが、ハダリーS3は身をくねらせながら悦びの声をあげた。
「あぁ…そうです。ハダリーS3は変態なのです。愛しい人に罵られて悦び、踏まれることを望む変態なのです!さあ、踏みつけ、痛めつけて下さい!もっともっとなじって下さい!」
「………ッ」
 アリオンは痛いくらいに歯を食いしばる。あたかもこれから踏まれるのは自分であるかのように。
 目の前のこれは、いや彼女は自分を愛していると言った。
 夜が明ければ、彼女は死ぬと言った。
 その彼女が、自分に痛めつけられることを望んでいる。
 アリオンは意を決してハダリーS3を跨ぎ、大きく膝を持ちあげた。
 そしてそのまま彼女の顔へ…
「………? 板金工、アリオン?」
 彼の足は床を踏み鳴らしただけに終わった。そのまま彼女の上に覆いかぶさるようになり、縛られた手をおさえ付けながら口づけた。
 舌を絡めることもなく、たった数秒押しつけるような、ただ唇を重ねるだけのキスだった。
「……板金工アリオン、何のつもりですか」
「こ、こう…手足縛られた上に覆いかぶさってキスとかされると、無理矢理っぽくないか?」
 しばしの沈黙の後、やっと彼の行動の意味を理解したかのように目を細め、彼女は言った。
 つまり。
「踏んではくださらない、と」
 一応、彼なりの『鬼畜っぽい』行為のつもりだったのだが。彼女の低い声にアリオンもまた低い声で答える。
「すまねぇな…オレはお前の趣味を受け入れられねえ。…すまん。だが、」
 好きだと言ってくれた相手を踏むことはできないんだ。
 彼はそう言うと顔をそむけた。
「…嬉しかったんだよ。その…愛してるってのが」
 彼にとってそれは生まれて初めて異性から聞く言葉だったのだ。嬉しくないわけがない。それ故に彼女の目的を、彼女の望むやり方で達成させようと思った。いささか無理をしても。
 だが、これである。
 彼の感じた嫌悪感は決して彼女の性癖に関するもだけではなく、それを受け入れる余地のない自分の小ささにもあったようにも思える。
 己を通すか、彼女を通すか。
 そのせめぎ合いの結果が、これである。
 己を通した。いや、彼女を拒絶してしまった。
 アリオンは自分がとてつもなく情けなくなって俯いた。
「本当に、すまん」
「ふ……」
「?」
「ふ、ふふふ。ふふふふふ」
 何やら不穏な含み笑い。
 おそるおそる顔をあげると、その声には似合わない嬉しそうな表情でハダリーS3が笑っている。
「先程までの貴方の言動から、拒絶する場合は声を荒げるものとばかり思っていたので、意外です」
 果たしてこれは非難されているのだろうか、とアリオンは首をかしげる。
 オメエはオレがどんな人間だと思ってたんだ、という言葉は一先ず飲み込んでおいた。
「そうですね。私を受け入れていただけないのは、とても残念です。ですが」
「…なんだよ?」
「先程の口づけ…貴方なりに、私を受け入れようとして下さったのですね」
「………」
「その上、拒否の理由が『愛していると言われて嬉しかったから』…。ふ、ふふふふふ
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