両親は仲が良かった。
感情を噫にも出さない母は四六時中と言っても良い程父にべったりであったし、父はそんな母の甲殻に包まれた体を抱き寄せてニコニコと微笑んでいた。
私には判らなかった。
何故、彼等という個体同士が私と言う次の世代を設けておきながら、未だに寄り添い続けるものなのか。
早々に狩りを憶え、身の丈を超す動物を食餌する事が出来た私は母の血を受け継いでいる。手首から肘に伸びる波状形の鎌の美しい切れ味も、頭に生える触覚の誉れ高き緑沢さも母譲りの物であったし、母も同様に私くらいの年齢から狩りをこなしていたと聞いたから、きっと生きていく為のこの技術も母から受け継いだ物だ。
だから、母は一人でも生きていける個体である事に間違いは無い。なのに、どうして繁殖期に偶々番った様な、人間のオス個体の傍から片時も離れようとしないのだろう。
私には“特別視する”という行いに実感が湧かなかった。それは食餌を食餌として見る事ではない事は知っていた。食餌を、食餌以外の目でも見るという事だとは理解していた。それ故、母という個体と父という個体が番である以上の事、其処に他の何かが介在するという話は、私の中では恐ろしく不確実で掴みようのない、得体の無い物であった。
誤解なきように言うが、私は両親が仲睦まじい事は良い事だと思う。悪い事ではないという意味であって、別に構いもしない事でもあったが。
別に構わない事なのだから気にしないでいれば良かったのだが、物事の分別が付き始めた頃から妙にそんな事を気掛りに思っていた。
「今日はダーリンが好物の魔界豚の香草スープを作ったぞ」
歯の浮く様な呼び名を口走りながら、桃色エプロン姿の母がウサギさん模様のミトンを嵌めた手で鍋を運んではテーブルの上に乗せた。それに対しテーブルに着いた父は眼鏡を畳み、手元に置いた。
「うん、良い匂いだ。流石、君の手料理は何時だって絶品だ」
「ダーリン、それは先ず味を見てから言ってくれないか」
母が木の器にスープを注ぎ、父に突き出す。父は微かに微笑んでから其れを受け取り、そっとスプーンを潜らせ、口元に運んだ。
「うん、君の手料理が美味しくない筈がない。絶品だよ」
「絶品か」
「絶品だね」
母は相変わらず父と話していても顔に表情を浮かべる事は無い。一方、父は絶やさぬ笑顔で母と向き合っている。
「今回は張り切って作り過ぎてしまった気がしていたが、その分だと丁度良さそうだ」
「はは、凄い量だね。初めて料理を作って貰った次の日を思い出すよ」
「あれと一緒にするな」
少し驚いた。あの母に、張り切ってしまう瞬間があったとは。
しかし、張り切るというのも何だか実感が湧かない感覚だ。私自身が無用に気負ったりする事がなかったから、何がどうなってスープを作り過ぎる事があるのか想像が難しい。
「さぁ、娘よ。料理は、温かい内に食べてしまうんだぞ」
けれど、母の手料理は温かく、森で食べる生の獣肉よりも美味しかった。
――――――――――
夏の猛烈な暑さもピークが過ぎ、次第に涼しさが感じられる様になった、秋口といった時頃。下腹部の奥が痒かったのが段々とはっきりと感じ取れる様になって来たのが切欠だった。
母が言うには、到頭私にも繁殖期が遣って来たのだそうだ。
繁殖期の間に男性を見付け、交尾し、子子孫孫に渡り種を繋げなければならない。
早速私は父の元へ行き、交尾を求めた。
気付いた時には、母の磨き抜かれた鎌が首筋に宛がわれていた。
無表情なまま、淡々と説教を始める母。
やれ、人のダーリンに手をつけるな。
やれ、自分の物は自分で探せ。
何時もの調子と変わらぬまま、しかし、その眼光は間違いなく獲物に安らぎを与えんとする時の鋭さ。
あの母が、怒っている。そう感じたのはこれが初めてだった。
そんな母が繰り返し述べていた事。
私とダーリンは愛で結ばれているだの 愛の前には全てが下らなくなるだの 私をこうして駆り立てるのは全部愛の仕業だの 何だか凄く人前で言う様な台詞じゃないものばかりだった気がする。
母をこうまで駆り立てるらしい、その、「あい」という物が何なのか。話からは要領を得ない。母は頻りに父との間にあるその得体の知れない物を強調し、私に言い聞かせていたが、当の私にとっては母が世迷言を言っている様で不思議な感覚を憶えた。
兎も角である。
私の最初に訪れた繁殖期は母の怒りを買い、結局お流れとなってしまう。
翌年。私は再び下腹部の奥の痒さを自覚した。
繁殖期が来た事は直ぐに判った。当然、母の怒りを買う訳にはいかず、父に交尾を求める事もしなかった。
取り敢えずどうすればいいか母に尋ねて見た。
母は何事かを決心するかの
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