「アハハハッ。いいザマだな、ハル!」
姦しい、声変りもまだかと思う程少女らしい高い声が俺の耳に突き刺さる。深く掘り下げられた穴の底で尻餅を着く間抜けな男を嗤っているのだ。
少年が言ったハルというのは俺の名だった。姓は地名姓であり、俺の生まれた故郷の名前だ。酷い貧困が蔓延する場所だったから、敢えて名乗る程愛着もない。
今の経緯を話せば簡単な事だ。上方に命令されギルドの資材を運んでいたら突然視界が暗転したのはつい先程の事だった。身体が軽くなったと思った途端腰を強打し、口の中に削り落ちた土の味が広がった。
俺は事態をすぐに察した。何時も通りの人物が何時も通りの悪意を俺に向け、文字通りその罠に嵌めたのだという事に。
「〜〜ッ。いい加減にして下さいよ、毎度毎度あの手この手で俺をからかって」
湧き上がる苛立ちと惨めさを漏らさぬ様堪えながらも、どうしても我慢出来ない部分を呟く事で示す。悪意を持つ人物を相手に感情を露骨にすると喜ばれるのがオチだからだ。俺はその事を此処数週間嫌という程思い知らされ、此処に至る。
頭上には丸く切り取られた空があった。その中心から少し逸れた所に太陽が燦々と輝いており、逆光がその空の淵に立つ件の上方の華奢なシルエットを映し出した。
「ハルは馬鹿だなぁ。いっつもこんな子供染みた手に引っ掛かるんだから」
太陽が雲に隠れ逆光が弱まった刹那の間、シルエットの中に麗しくも整った小悪魔の顔が映った。
裾口の広いシャツと短パンが緩やかな風に棚引き、若く健康そのものである艶やかな二の腕と太股が見え隠れする。短パンの下にはぴっちりと肌に吸い付くスパッツが黒く濡れた光沢を放っていた。
俺には目下悩みがあった。
いや、これはもう盗賊ギルド全体の悩みではなかろうか。
というのも、ギルドという組織にはギルドメンバーを纏める人物が当然なりいる。勿論何処にでもあるように上下関係という物がある訳だ。俺達が共通して悩んでいるのは恐らくその一辺倒にはいかない上下関係についてだ。
俺達の上役でありギルドマスターと呼ばれるお方は大した御仁だった。元々義賊として名を馳せた人物だそうで、その経歴に違わず公明正大だ。
決して俺達はその御仁の無能さに頭を抱えている訳でも、横暴な振る舞いに喘いでいる訳でもない。ただ幾ら公明正大な人物であろうと、決して全ての人間を平等に扱う聖人ではなかった。
特に、自分の息子に対する溺愛っぷりはそれはもう群を抜いていた。
ある時その御仁の息子が町のチンピラに絡まれた時、次の日には言うも憚る程無残に辱められたチンピラの姿が町に曝された。
またある時は御仁の息子が欲しがった物を調達しにギルド総出で出立に及んだ事だってある。
御仁は自分の事でギルドの主権を行使はしなかったが、その代わりに自分の愛息子の為なら遍く行使した。
で、だ。件の息子というのが、俺達の悩みの中心人物だ。
ギルドの権力をそんな風に使う御仁だ。その息子は随分と甘やかされて来たのだろう、今ではとんでもないクソガ……やんちゃな子に育ってしまっていたのだ。
「なんでこんなのに引っ掛っちゃうかなー。相変わらずハルはバカだよねー、アハハハ」
御仁の息子、今俺の頭上で嘲り笑う彼を俺含めギルドメンバーの殆んどは“若様”と呼んでいた。何れギルドを継ぐ人物となるであろうから呼び方を統一しようと決められたのは大分前の事らしかった。主に本人が主導しての事だったらしいが。
こうして態々部下に掘らせたであろう落とし穴に俺が嵌められているのもそんな“若様”の悪戯の一環だ。
怒りも湧き上がってくるのであるが、段々と、それよりも俺一人を嵌める為にこれほど深い落とし穴を恐らく若様のひょんな思い付きから数時間で掘るよう脅されたであろう人間に同情を憶えた。逆光浴びる黒い影は、そんな俺を存分に指差して嘲笑してくれる。
流石にギルドメンバーの中でも比較的温厚で平和的な考えを持つ俺にも我慢の限界がある。ここ数日まるで俺を標的にしたように怒涛の悪戯を仕掛けて来る。落とし穴に落ちたのは今日で6回目ではなかったかと思う。お陰で土の状態を具に観察するようになった程だ。きっと今の俺にはくっきりと青筋が立っている事だろう。
口の中の土を染み出した唾液で溶かしつけ、何処かへと吐き捨てた後、抗議の眼差しを天に向けた。
「若様、いい加減にしてください。ここずっと落とし穴に嵌めてばかり。怪我する所じゃないですか!」
「何? 怒った? もしかして怒ったの? アハハ!」
若様は何事か面白がると空からいなくなった。姦しい笑い声が段々と遠ざかっていく。
「あっ。ちょ、こら! 責めて引き上げてから行けぇーっ!」
俺の叫びが穴の中で虚しく反響する。垂直に深く掘られた穴の中。側
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