第10話 責苦の牢

 遠くで振り被り、風を切る音が聞こえる。
「   つっ」
 頬を硬い棒で殴られた感触に呻いたのを自覚した瞬間、何処か遠くへ行ってしまった意識が自分の元へ返って来た気がした。
「おら、寝てんじゃねぇよ」
 粗暴な男の声が耳に入る。ぽたん、と何処かから雫の垂れ落ちる音が聞こえた。
 重い瞼を開き、目線を上げる。身形がまるっきり何処かの傭兵崩れの様な男が淡々と俺を見降ろしている。血の乾いて張り付いた木製の棍棒が揺れて、其奴の手の平を苛立ち気に叩いていた。
「これからお宅には一笑記憶に残るくらい苦しんでもらわなくちゃいけないんだ。意識が飛んだりなんかして忘れてもらっちゃ困るんだよ」
 男の言動からは感情が乱雑に漏れ出ていた。世の中正しいのは自分だけで、自分さえよければそれでいいと言ったエゴイストらしく、目をギョロつかせている。
 目覚めは良くない。昔と比べれば悪くも無いかもしれないが、頭の奥がガンガンと鐘が鳴り続けている様に痛む。
「生憎、表現の過ぎた苦痛ってのは間に合ってるんやけど」
 透かさず棍棒の先が飛んでくる。脳震盪が起こりそうな衝撃には参りそうになった。
「ならそれ以上があるって事を教えてやるよ」
 懐かしい事だ。教団に居た頃、折檻された時を思い出す。今と昔とじゃ拷問の内容は違う。時代ごとに拷問の発想は異なるとも言えるから、一概に何方が惨かったとは言えないが、基本的にこういうのは決まって肉体的か精神的かに分かれる物だ。
 目の前の拷問官は、肉体的拷問を執り行うらしい。
「……腹減ったな」
 ぽつりと呟く。暗い洞窟か何処かにでも閉じ込められているのかと思っていたが、部屋の中に月光が差し込んだお陰で、青白いタイルが敷き詰められているのが見えた。俺の頭上には窓があるらしい。
 ……フレデリカ達は無事に逃げ果せただろうか。
 マオルメ達だって強い。多分、俺が心配するまでもないとは思う。
 しかし、どうしたものか。
 魔法を使って逃げ出す事を考えたが、両手を吊り下げている手錠を見て無理だと悟った。所謂“魔封じの枷”と呼ばれる物で、大変魔力と親和性の強い金属を以て魔封じの紋様を描く事に依り、その輪に身体を通した者の魔力を攪乱させる物だ。どんなに魔力の扱いに長ける者でも、この枷に囚われたものは碌に魔法を発動させる事は出来ない。
 鈍重な金属の輪に通された自分の手首から先は、きつく締め挙げられ、青くなっていた。
 どうやらフレデリカ達に助けて貰う他に道はなさそうだ。探知魔法の掛ったサバト会員証が傍にあれば、直ぐに見付け出してくれるだろう。
 しかし、探知魔法が掛っている事に気付かれ破壊されていた場合……。フレデリカはそう頭のキレる方かといえば、一般的だ。マオルメ達が本気を出したとしても、俺の居場所を推理出来るかは、疑問が残る。エルテュークの密偵達なら俺を解放するくらいの便宜を払うかもしれないが、生憎それにも二日三日は覚悟しなければならない。
 かといって……さっきも考えた通り、自力で脱出しようにも魔封じの枷がある所為で魔法を使えない。仮にこの枷から解き放たれたとして、武器も奪われた今、力尽くで脱出するのはどうあっても無謀の一言に尽きる。
 のんびり待つか。そんな風に考えて静かに恋人の姿を思い浮かべた時、不意に俺は忘れていた事態に気付く。

    そうだ。そんな悠長な事は言ってられない。早くフレデリカに……!

 靴先が腹に埋め込まれる。咄嗟に筋肉を強張らせたが、鉄板を仕込んでいたらしく、腹の奥まで衝撃が走った。
「まだ寝ぼけてるみてぇだな。自分の立場判ってんのか? あ?」
 髪を掴み挙げられ、凄まれる。
「ハゲるやろ止めろ」
「……」
 目を細めて絶句されたが、俺は何かおかしい事を言ったのだろうか。
 兎も角だ。俺は今すぐにでもフレデリカと合流しなければならない。事態が変わった。魔封じの枷だろうが何だろうが、知った事ではないのだ。此処で悠長と助けを待つなんていう選択肢は最早愚策として捨て去っていた。
 さて、自力で脱出すると決まった以上、連中が俺に何かしら干渉してくる瞬間がチャンスだ。願わくばこの枷を外す口実を得たい所である。


「よし、そろそろ始めるか」
 男は手に持った棒を投げ捨てると、腰のベルトから細長い針を数本抜いた。月光に当てられた針はその身に光を走らせ、その鋭さを物語る。
「今から何をされるか想像してみろ」
 そう投げ掛けられ、考える。あまり想像したくない事ばかりがすぐに思い付いた。
「何、目ん玉を串刺しになんかはしない。自分が何をされているかしっかり見とかなきゃいけねぇからな」
 そう言いながら、男は針の先端を俺の肩、鎖骨の上辺に向けて据えた。

 ツ、プ   ッ。

 針の先端が肌を突き破る。
 肉の隙間にゆっくりと滑り
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