前篇

「そいでサ、その時積荷落っことしちゃってサー」
 俺は甲板にデッキブラシを当てながら、そんな風に自分話に花を咲かせる運び屋ハーピーに付き合っていた。
 飛空艇は空に浮かぶ船。空の魔物、特に人間と共存している運び屋ハーピーの彼女の様な娘達が、羽を休めたり、好奇心で寄ってきたり、はたまた発情期では恋人探し(という名の襲撃)に降り立ってくる事も多い。
 この前なんかドラゴンが巨大化したまま甲板に居座って、船が傾いてしまった事があった。羽を休めるだけなら是非とも変身を解いて御搭乗願いたいものである。

「あ、でさ、でさ。この前言ってた彼、もうすっごくかっこよくてさ! 友達に訊いたら今フリーで、しかも魔物でもオッケーなんだってさっ。もうこれはアタックするしかないよねっ」

 しかし、同業者の身分でありながら当然の様に茶を飲んで居座っている彼女に、誰も何も言わないのだろうか。これだから、この船の人間達は皆お人好しなんだ。
 まぁ、お茶どころか茶菓子まで出そうとして「そこまで気を使わなくてもいいよ〜」と遠慮されたのは俺なんだけども。


「おーい、ブラント」
 そんな折、船室から顔を覗かした船長に呼ばれた。
 その声を聞いて長居が過ぎたと感じたのか、運び屋ハーピーが翼を広げる。
「ん、そんじゃ僕は此処等辺で失礼するね。お茶、美味しかったよんっ」
 そう言い残して、甲板の柵から飛び降りる。
 あっという間に雲の割れ目に姿を消す翼。
 ああいう光景を見ると、ついつい自分にもあんな翼があればいいなと羨ましく思えてしまうものだ。
 俺はもう既に姿を消してしまった彼女に軽く手を振って見送った後、改めて呼び出しに応じる。
「へーい、兄貴」
 返事をすると、またその雲の割れ目に響く怒鳴り声で返される。
「船長と呼べッ」
 思わずノリで船長と呼ぶのを忘れていた。
 船長は、船長と呼ばないと怒るのだ。

 このダダン・ダンダ団を率いる実質のリーダーである、ダダン=D=ダンダ船長。余程海賊……もとい、空賊を気取りたがっているのだろう。髑髏の描かれた二角帽をかぶり、眼帯をした筋肉質な風貌を好んでとる変わり者である。
 しかし、船長の肩書は伊達ではない。空を知りつくし、このダダン・ダンダ団を見事に纏めているその手腕は、将に空の漢と称されるに値するだろう。
 只、人に話して意外に思われるのは、いつも彼の齢についてだった。
 船長のイメージにはそぐわぬ年若さ。髭も生えぬ華の20代であるという事実は顧客のマダム達を喜ばせた。ただ、この賊を気取る悪い病気さえなければ、女性なんて選び放題なのが惜しいものだった。

 ドゲシッ。
「   うぷっ!?」
 腹に痛烈な一撃。
「今、失礼な事を考えていただろう」
 船長の突っ込みはいつも苛烈だ。冤罪だったら納得出来ない所だ。
「何考えてた? ん? 素直に言わなかったら、着の身着のまま空の旅を楽しませてやるぞ」
 上半身を落下防止の柵に押し付けられて脅される。
 目の前には雲の霞みと、その遥か先に懐かしの大地。
 着の身着のまま空の旅などして地面に叩きつけられてしまえば、確実にぽっくり天国まで昇り果ててしまう。
「何も考えてないですッ。ホントですぅッ!?」
「なんだ。ならいいんだ」
 そして自棄にあっさりと尋問を終える。腹を蹴った事に何も悪びれる事などしない。何時もの、船長が俺をイジる時のお決まりのパターンだった。
 普通は不満の一つでも漏らせばいいのだろうが、この船長にはそんな事お構いなしだ。

「ちょ……なんで俺ばっか?」
 以前そんな不満を漏らすと、屈託のない笑顔と共に帰って来た返答。
「だって、お前見てるとついイジりたくなるもん」

 要するに反応するだけ楽しませてしまう訳だ。
 俺はデッキブラシを片手に腹を抑えるだけだったが、ハッとして去りゆく船長に声を掛ける。
「……そんな事より船長。何か用だったんじゃないですか?」
「えっ?」
 すると、あの野郎は今思い出したとばかりに俺に振り返る。
「ああ、すまん。すっかり忘れてた」
「……で、なんでしょうか」
「ああ   そろそろ乱気流に突っ込むから、中に入れ」


 見ると、船の前方にぐるぐると渦巻く黒い雲の塊が見えていたのだった。


―――――


    ガタンッ。

「うおっ」
 刹那、激しい気流が船体を大きく揺さぶる。広い操舵室で暗雲の中に出口を探している所だった。
「今のはヤバかったな」
 付き合いの長い同僚が声を掛けてくる。
 ヤバい、といっても皆慣れたものだった。乱気流に突っ込む事なんてこの長い空旅の中よくある事だったし、優秀な操舵士も居るので滅多な脅威ではないだろう。
 そういえば、俺達は慣れているからいいものの、今日の積荷の中に珍しく客人を乗せているのだった。

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