「貴様の畑を見に行ってやろう」
朝、目が覚めた瞬間、領主にそう言われた。
ヴァンパイアが光の下を歩くのはどうなのかとあらかじめ尋ねたが、光を防ぐローブを頭まで被るから大丈夫だと返された。
こうして俺はナーシェを置いて一足先に村に帰る事となった。
しかし村の中を、黒の外套を纏った怪しい人物を連れて歩くのはかなり勇気のいる行動だった。誰も此奴が領主だと察しがつかないだろうし、僅かに見える領主の顔から、変な事を勘ぐられたりもした。そう言う意味で余計な注目を浴びる事となった。
そして、青々とした葉が茂る自慢の畑まで案内した所で、領主は初めて声を発した。
「ふむ。良い色合いだ」
実る作物の赤い色合いを撫でられる。誉められるとくすぐったいものだ。
「一つ、頂いて構わんか」
俺は頷く。領主は果実を一つはぎ取ると、躊躇なくそれに牙を突き立てた。
染み出る蜜を吸いながら、喉を下す。
フードからちらりと見せた顔は、確かに笑顔だった。
「ふむふむ。実に美味い。この弾力と言い、潤いと言い、酸味の中にある仄かな甘さと言い、絶品だ! 妾専属の農家に認定してやってもいいぞ」
「はは、恐れ入ります」
本当に専属の農家に慣れる事を光栄に思うかどうかはさて置いて、此処まではっきりと、表情に出してまで褒め称えてくれた人物はナーシェ以外にはいない。
別にこれだけの事で推し量れる訳じゃないが、領主の事を少し見直した自分が居た。
「……しかし、なんでこんなものが見たいなんて言い出したんだ? 別に、アンタら貴族には面白くもなんとも」
気を抜いた瞬間にボロが出る。普段敬語なんて言い慣れてないものだから、ついタメ口を利いてしまった。
そんな俺の慌てた態度を見て、領主は微かに笑った。
「構わない。今はお忍びの身だ。寧ろ、敬語を使われる方が都合は悪い」
「は、はぁ」
「ふふ、だからそんなに気を改めんでよいというのに」
そう言って笑う。こうして見ると、領主も一端の女性なんだと改めて認識出来た。
いや、それ以上にナーシェにはない洗練された雰囲気。立ち居振舞い。そのどれもが、俺が上辺だけで否定してきた“高貴”とは違う。それは毛嫌いしている裏で、何処か憧れていた“高貴”であった。
領主はそんな風に俺が思っているとも知らずに、こう返答する。
「……花嫁に言われてな。普通相手を好くと言うのは、自分を基準にするのではなく、相手を基準にするものなのだと。だから、少しくらい、平民の暮らしや生き方を見ておくべきだとな」
俺はナーシェがそんな事を領主に言ったのか、と感心したが、同時に領主の言葉に違和感を憶えた。
「え? と言う事は、領主サマは同じ貴族とは結婚しないのか?」
「妾の領土は余り有益な土地関係にないからな。政略的な結婚話は滅多に持ち上がって来ん。それに、妾と付き合いがある者と言えば大体妻帯者か女性だ」
「縁がないってことか」
「はっきり言うな」
「だって、そうだろ」
「……そうだが」
納得しない領主。
なんだか可愛く思えてきた。
そろそろ朝靄が消えて、陽が本格的に上る頃だ。俺は雲の様子を見て、今日の天気は清々しい快晴だと予想する。
「さて、そろそろ陽も昇るし、家の中にでも入るか?」
領主は静かに頷く。俺は新居の扉を開く。なんだか、妻とは違う女を家の中に連れ込むのは凄く問題がある気がしたが、この場合は例外事項と言う事で自分を納得させる。
領主をテーブルに着かせる。俺が目に付いたカーテン全てを閉じたのを見た後、フードを取り払う領主。
その下の顔は酷く疲弊しているようだった。
「……大丈夫か? もう帰った方がいいんじゃないか」
領主は首を振った。
「いや、大丈夫だ。この程度……平民に心配される程ではない」
「つってもな。大丈夫に見えないから言ってんだけど」
「むむ」
唸る領主。
暫く子供が悪戯の言い訳を考える様な顔をしてから、こう言った。
「……今頃から陽がきつくなるだろう。やはり夜になってから帰らんと」
「まぁ、そうだな。じゃあウチでゆっくりしててくれよ」
俺は軽く受け流し、出口の取っ手に手を掛ける。
すると、何故か領主が激しく取り乱すのだった。
「ちょっと待て。何処に行く」
「ああ、ちょっと畑の様子を見に」
「さっき見ただろう!?」
「いや、害虫とかいないか、見ておかないと」
害虫は農家の敵だ。放っておくと周りの農家にも迷惑を掛ける。
領主はまた何か考え込んでから、俺を引き留める。
「扉を開ければ妾は光を浴びてしまうだろうっ。極力此処に居るのだっ」
「いや、害虫駆除は農家にとって大切な作業なんだが……」
「いいから此処におれっ。妾からの命令だ!」
領主はそう顔を真っ赤にして言う。さっき見た時は害虫の影も見えなかったし、今日ぐらいはい
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