初夜権と花嫁

 所用で魔界に呼ばれた私は、何時も逢魔が時に覚ます目を朝に早め、魔界からの迎えが用意した馬車に乗り込んだ。
 私は陽の光が嫌いだった。
 この身に流れる血が拒む以上に、煩わしく感じている。
 何事も人間などとは超越した存在であるにもかかわらず、陽の光によって手足に重たい枷を付けられた様な感覚に陥る。それが自尊心を傷つけるのだと、私は熟知していた。
 黒い布で身体を覆い、館から馬車に移る僅かな時も、陽の光を避ける。馬車の窓も予め暗幕で覆っておく。そうして安心してから、煩わしい外套を脱ぎ去るのだ。
 馬に鞭が打たれる。馬車がゆっくりと動き出す。外の風景は暗幕で隠されている。
 だが私はそれで満足だった。陽の光にさえ当たらずに済むのなら、外の世界なんて知らなくても良い。領地の統治など、書類に目を通して判を捺すかすれば十分。
 そう思っていた。


―――――


「近頃、親魔物派領で民衆の動乱を煽る連中が出没している。注意されたし」
 魔界でその旨の連絡を受け、帰路に付く。
 私の指示で最近道を整備した甲斐もあって、馬車の揺れも快い。行きもそうだったが、帰りも睡眠時間を充足させるのに使わせてもらおう。そう思って、一人だけの空間で壁に寄り掛かる。
 眠りに落ちそうになる瞬間、不意に馬車が大きく揺れる。油断していた私は座席に腰掛けていたというのにバランスを崩し、思わず暗幕を掴んで引き剥がしてしまう。
 差し込むのは赤き日差し。塞ごうとして暗幕を掲げる。先程は思わず力んでしまっていたのか、暗幕は手の中で襤褸切れとなっていた。
 思わず、溜息を漏らす。
「どうしたのだ」
 静かに問うと、行者は慌てた声で答える。
「申し訳ありませんっ。突然カエルが飛び出してきたものですから、馬が驚いて……!」
 私はもう一度溜息を吐いて、進むように指示した。しかし急かさずに、だ。つまらない事で急ぐようになるなど、みっともない。
 馬車はゆっくりと、窓から覗く夕暮れ時の領地を動かしていく。
 丁度今頃が、私が起き出す時間だった。幸い昼頃よりも日差しは強くはないが、差し込む光は未だに苦痛だった。
 ……それでも何故かは判らないが、私は窓の外をぼんやりと眺めていた。
 何かを求めていたのかもしれない。何かあの館の中にはないような事があるのかもしれない。そんな期待があったのかもしれない。真夜中に血を求めて闊歩する事はあったが、この時間帯でみる我が領土というのもまた新鮮に思えたのかもしれない。
 理由は何処にあるにせよ、私はそうして、陽の光を我慢して外の風景に目を凝らしていた。


 そんな瞬間だった。窓の外を、緑色の霧が覆った。
 何事かとギョッとしたが、どうやら地元名産の野菜を育てている農家の前を横切ったようだった。生い茂る葉に隠れる、この鮮血の如き赤色を湛えた丸っこい奴は私の好物の一つだ。青臭くはあるが、それでも奥深くすっきりとした甘さがある。
 不意に緑の奥に人影が見えた。
 別段、冴えた様子などない男だった。
 只真剣な目で作物に目を通し、手入れをしてやっている様子が見えた。
(   よし)
 男が笑んで、音もなく唇が動く。けれどはっきりとその声が耳に聞こえた気がする。
 そんな時、自身に奇妙な感覚が込み上げてくるのに気付く。なんだか、あの男をじっと見ていたい様な、でもなんだか見ていたくない。そんな、矛盾した気分でもあり、出来る事なら、もっと傍に寄りたい。
 兎に角、無性に気になってしまったのだ。何の変哲もない、只の農民に。
 そんな時に、男が私の方に目を向けた。咄嗟に窓から目を背け、胸を抑えた。何故か、顔が熱くなる。
 ……実に奇妙だ。私は只、領民の生活を目にしていただけ、なのに。
 馬車は構わず進んでいく。私は館に着くまで、もう窓の外に見るものなんてなかった。


―――――


 夜を待ち、血を求めて館を出る。
 まず、民家の窓から目に付いたのは鍛えた体躯を横たえる男。忍び込んで首筋によれば、鼻を突くような汗臭さが漂う。其れを我慢して、牙を突き立てる。カッと目を見開く男。舌で肌を舐める。此奴の味は酷く苦い。
 やがて男は勝手に絶頂に達してしまうが、私はどうも乗り気になれない。夫候補として考えていたが、止めておこう。これ以降この男は勝手に私の虜となるだろうが、また私兵として置いておけばいい。
 こうして私は毎晩の事、血を求めて彷徨い続けていた。それでも私の夫たる男は見付からない。
 こんな風に、無駄に下僕だけを増やして何十年が経っただろう。過去、私が餌食にした男達を振り返ろうとしたが、一人たりとも思い出せずに止めた。


 そんな時、何故か、今日の夕刻に見かけたあの野菜畑の男の事を思い出す。気付けば私は村の風車の上に飛び乗り、村全体を見渡し、目で探してい
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