3話

【悪意の影に沈みゆく】



 コンコンッ
 そのとき、俺の部屋の扉がノックされる。
 ヴァーチャーが露骨に舌打ちする。外から教団関係者の声が響く。
「ゲーテ殿。そろそろお時間でございます」
「集会は明け方からではないのか?」
 目の前のヴァーチャーに警戒を向けながら声を放つ。
「ええ、その予定でしたが、聞かれていませんでしょうか? 時刻が変更になったのですが」
 そっとソニアの方を見る。予定等は完璧に把握している筈のソニアは、首を振った。
「聞いていません」
「聞いていないぞ。何かの間違いではないか?」
「そう言われましても、迎えに行けと言われただけの私には……」
 困った風に答えられる。それももっともだ。覚えがある限り、この声の主は只の伝令役なのだから。
「悪いが、今立て込んでいる。準備が出来次第、向かうと伝えてくれ」
「はい、判りました。   」
 そう返事されたが、気配は扉から立ち去る事はなかった。俺が不審に思い、声を掛ける。
「何をしている。早く立ち去れ」
「!? え、ええ……はい、只今」
 途端に扉の傍から気配が遠ざかる。一瞬扉に耳を当てている様子が目に浮かんだ。まぁ、人の様子をコソコソと伺う仕事をしている連中だ。つい、癖が出てしまったのだろう。そんな風に自分を納得させた。
 だがそんな俺をヴァーチャーは責める訳でもなく、怒る訳でもなく、只淡々と見詰めていたのだった。
「……ゲーテ」
「なんだ」
「俺達は親友やんな」
「……そういえなくもないな」
「親友を   信じろ」
 ヒュオンッ
 そう告げると奴は瞬間転移の術で此処から姿を消した。あれは古今東西、簡単に扱える術じゃない筈だ。それをあれほど簡単に、詠唱もなく使える者など、世界に数えるほどしかいないだろう。



―――――



「……さて。集会に向かうぞ、ソニア」
 今の出来事は全てなかった事にして、俺は部屋を立ち去ろうとする。
 だがいつも黙ってか嫌味を言ってかして付いて来る筈のソニアが動かない。
 俺は溜息を吐く。理由は判っていながらも問う。
「どうした」
「   マスターは、お父様を信じてくれないのですか……?」
 ぎょっとした。土くれで出来ている筈のこの女の目に、光るものが映っていたのだった。俺は思わず目を逸らしてしまう。
「俺達は密偵だ。騙しあいの世界と殺し合いの世界が混ざり合ったような世界。今更のこのこと現われた奴に一方的にああ言われて、素直に信じられるほど甘い世界では無い」
「マスターは、甘えているじゃないですか」
「! ……なんだと?」
「マスターが教団と縁を切りたがらないのは、単純に後ろ盾を失うのが怖いからです。
 外の世界に出るのが怖いからです。
 誰かに命を狙われるのが怖いからです。
 戦って勝ち取るのが怖いからです。
 正義を持つのが怖いからです。
 自分で決めるのが、“人形”から“人間”になるのが怖いからです。
 そして、お父様の言葉を信じないのは、マスターが怖がって出来ない事を、お父様が簡単にやってのけたからです。なんでもマスターより簡単にやってのけてきたお父様が気に入らないからです。マスターは、教団という揺り籠から出られないでいる、赤ん坊にも劣る甘ったれですっ。赤ん坊ですら、何れ揺り籠から出る事を考えるのにっ。もし違うと反論なされるのであれば、以上の事全てに対する反論を押し並べて下さいっ。


 このへたれマスターッ!」


 遠くから悔しそうな表情を浮かべてそう捲くし立てるソニア。俺はそんな土くれの発した言葉に、放心してしまうのだった。
 そして思考回路が復旧した途端、今度は熱を帯びてきてしまい……。
「   ッ! なら、貴様は奴の下に戻ればいいッ。一生俺に付き纏うな。いいなッ」
「マスター……ッ」
 バタンッ
 部屋の扉を乱雑に閉めて、廊下を怒れる足取りで進む。



―――――



 一時の怒りに身を委ねて、怒鳴ってしまった。俺とした事が……なんて浅はかで無能な事をしてしまったのだろう。

 紛れも無い、ソニアは   事実を言っていたのに

 ずっと、妬ましかった。
 奴は俺よりも秀でていた。
 一歩前を進んでいた、というのならまだ良い。奴を目指して頑張ろうと思えた筈だ。
 だが、奴は確実に俺よりも“数十歩”は前を歩いていた。
 ……目指すのすら、おこがましいと思えた。

 俺達は親友だった筈だ。俺はそう思った。奴が人間を語り、俺は人間を知った時から。
 そしてその時得たものが友愛の心だと知った時から。
 彼奴等以外の、他の誰にも向けなかった心の中の温かさに気付けた時から。 
 なのに、奴は俺よりもずっと前を歩いていた。
 ずっと……ずっと前に。
 なんなんだ? この距離は。
 なんなんだ? 奴の才能は。


    結論
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