第6話 その行く先に祝福を


 リヒャルトの戴冠式当日の朝。
 俺はゆっくりと目を覚ます。夢から覚めた事実を噛み締める様に。
 研究中小腹が減った時の為に設置しておいた簡単な台所に人の気配を感じた。鼻腔を擽る温かな臭い。リズムよく響く包丁の音。お湯が沸騰してコポコポと唸っているのが判る。
「んん……ふぅ」
 起き上る。頭に血が足りない。体の節々が軋む。矢張りベッドで寝るべきだった。椅子に座ったまま背凭れに寄り掛かって寝るのは見た目にも悪い。
 腰を持ち上げ天高く伸びをすると体中がポキポキと音を立て間接が元の位置に戻った様な気分がした。
「ふぁぁ」
 大欠伸をしながら台所の方を見ると、エプロン姿のフレデリカの後姿があった。
 俺が起きたのを鋭敏に感じ取ると、包丁の手を止め彼女は振り返る。
「あ、おはようございます、ヴァーチャー様」
「ん。おはよう」
 彼女が見せた笑顔に何か引っ掛かる物を感じなかった訳ではないが、取り敢えずこの時頭を占めていたのは圧倒的に自分が寝足りないという確信だった。
 俺は食欲や性欲よりもどうやら睡眠欲が強いらしい。悪夢さえ見なければ、寝られるのならずっと寝ていたいものだ。


 今日の戴冠式にはこの教会独特の仕来たりである童貞審判なるものが催される。其れは教会が聖獣として指定しているユニコーンにより新たなる教皇が冠を頂くに足る純潔を未だに保っているかを調べる為のものだ。
 しかし、これはほぼ形骸化している催しの筈だった。
 今までの教皇候補などというのは純粋培養されており、女人禁制ともいうべき体制で暮らしてきたとも言える。女性と懇意になる機会もなかっただろうし、あっても無駄に性を散らす行為を良しとはしない者達ばかりだった。
 が、今回のリヒャルトは違った。
 彼は完全な被害者ではあるが、童貞を失っている。此処に引っ掛かられると、今まで形骸化していて当たり前だった通過儀礼すら完遂出来なかったという分、一気に信用が地に落ちる。
 当然教皇として不適格と見做され、土壇場で別の人間が教皇になるだろう。
 それだけは避けなければならない。リヒャルトが権力者とならなければ、俺の今までの労力が全て水の泡だ。


 リヒャルトが非童貞であるという事実を隠蔽する為に昨晩は奔走していた。
 エルテュークの密偵達を再召集し、事の顛末を説明、根回しを指示した。教皇である事が確定した段階ではあるとはいえ、無論リヒャルト以外に教皇候補達が教会内にはいる。童貞審判に尻込みする様子を気取られて難癖をつけられるのは面白くない。
 加えて、童貞審判戴冠式を担当するユニコーンを何とか見付けだすと、本番に証言を改めてもらう様遅くまで交渉していたのだ。
 ユニコーンは男性の純潔を見定める能力がある。自身こそが童貞を好み、他の魔物との交配を通じて自身に別の魔力が混じらない様にする習性がある。それ以外の男は男と思わないか毛嫌いして寄っても来ない筈だ。
 しかし   件のユニコーンは俺が思っていた以上に後者に偏っていた。
 運が悪いと思う猶予も無い。俺は形振りも構わず説得を試みたが、俺が一言言う度「汚らわしい男の人」と言い放ち、話も聞かずに夜の森に逃げ去ってしまった。
 思えば、俺も焦っていた。時計の短針と長針がぴったり上を向いて揃った辺りからもう残された時間は僅かだと判っていたのだ。





――――――――――





    慌てて追い駆けたが、月明かりを隠す夜の森にユニコーンの姿を見失ってからもう半刻が経過していた。
 頭の中で秒針がカチカチと動く音が聞こえる。時間がない。明日、いや今日の戴冠式は朝の7時半からだ。教会の朝というのは、それも、これだけ大事な行事を何故こんなに急ぐものなのか。昼下がり、最低昼食後お腹一杯の所でやればいいじゃないかと恨み言を呟いた。
 姿が見えなくなって久しいが、気配を全く見失ったという訳ではない。耳には馬の蹄が慣れない様子で土を踏み締める音が聞こえるし、まるで見付けて下さいと謂わんばかりに息をぜぇぜぇと吐いている様子も伺える。
 襲うでもあるまいが、話を聞いてもらう為には先ず接触を図らなければならない。気付かれずに捕獲という形を取られれば面倒でもないが、より警戒心を持たれるのは本末転倒以外の何物でもない。
 ほとほと面倒臭い事になった。しかし、明日の童貞審判でリヒャルトに厳正な審判を下すであろう彼女を何とかする以外にリヒャルトを救う道はない。教皇決定の場にさえ居なかった俺が、童貞審判は形骸化しているからいっその事廃止にしましょうなんて事を前日に言える立場ではないのだ。
 それに童貞審判を廃止すれば、ユニコーンの立場が教会からなくなってしまう。それは気の毒に思えたので手段として選ぶ気にはなれなかったのもある。
 木を駆け上がり、木の葉に隠れ
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