私はネズミが嫌いだ。
あのドブに塗れた灰色の体と、卑しく出っ張った二本の前歯。
不気味なピンク色の尻尾に、口喧しい老婆に似た耳。
食べ物を求め世話しなく動くあの鼻と、狭い隙間をこそこそと擦り抜けようとするあの体のライン。
不衛生で醜い、あの小動物が嫌いだ。
想像するだけで鳥肌が立つ!
「キャッ、また!」
それなのに、何故この建物にはこれ程ネズミが多いのだろう。
ああ、嫌だ。
私はネズミの巣に入り込んでしまったのか。
こんな依頼さっさと済ませてしまおう……。
―――――
私がこの屋敷に足を踏み入れたのは、ちょっとした縁からだった。
一介の剣士であった私の路銀はこの町に流れてから底を尽き、留まる為の宿どころかその日一日の食事にも困る様になってしまった。
そんな時、親切に私に救いの手を差し伸べてくれた男性がいた。
身なりはとてもよさそうで、まるで何処かの王族の様な風貌をしていたその若い男性は、何の躊躇も無く私に高級な宿と極上の食事を振舞ってくれた。
―――――
そして仕事まで与えてくれた。
どうやら長年放っておいていた彼の別荘に何か巣食ってしまってはいないか、中を見て来て欲しいのだという。
何もいなければそれでよし、何かいて退治してくれたら報酬は倍だという。
私は、不謹慎ながら、内心この館に何か巣食っていて欲しいと期待していた。
報酬が倍になる。
勿論それも狙いなのだが……。
実は 私には、あの青年の事を憎からず思っている所があった。
私の様な一介の剣士を気に掛け、私財の消耗を気にせず救いの手を差し伸べる。その思いやりと懐の深さに、私の理想の男性像があった。
要するに、ちょっと良い所を見せたいのだ。彼に。
それは兎も角。
彼の屋敷は確かに、大分放置されていたのか相当な荒れ様だった。
天井の隅には蜘蛛の巣が掛り、地面にはネズミのフンや建物の中ではまず見掛ける事はないであろう虫の類。
元々色鮮やかに足元を彩っていたであろう絨毯は、埃でネズミ色に染まってしまっていた。
しかし、私の期待とは裏腹に巣食っていたのは虫や小動物ばかり。
私は少し残念に思いながら、序だからと屋敷の中を掃除する。
何も置かれない書室、ネズミの巣があった食堂、蜘蛛の住処となっていた寝室。もう一度、掃除をしながら一通り屋敷の中を見回った。
「……ふむ」
今更だが、自分でこの屋敷には何もいないと結論付けておきながら、私には釈然としない事があった。
それは、この屋敷に足を踏み入れた時だった。
パキッ
そんな音が、屋敷の奥から聞こえたのだ。
チュー。
ネズミの鳴き声。
それもおかしいと思った。
私はネズミが嫌いだから、奴等の鳴き声には敏感な方だ。
だけど、今の鳴き声。どちらかと言えば、小さな女の子の声のような……そんな気がしたのだ。
結果、この屋敷の中には確かにネズミが居た訳で、きっと聞き間違えたのだと思うのだけれど……。
なんだか、妙な気配だけは消えない。
やっぱりこの屋敷、何か住み付いているのではないだろうか?
だとしたら、一体何処に隠れているのか ?
私は腰に下げた剣に手を掛けながら、辺りの気配を注意深く探った。
ヒュオォ……ッ。
風の、音。
おかしい。掃除をしながら窓はしっかり閉じた筈だ。隙間風が入る様な、目立った壁の損傷も無かった筈。
それでも確かに聞こえる。
風の、音。それも微かな。
私は一度捉えたその音を耳で捕まえたまま、寝室を探ってみる。
戸棚……じゃない。壁だろうか。壁の向こう……。
寝室の壁をノックしていくと、ある所だけで音が変わった。
壁の向こうが空洞になっている様な乾いた音。透かさず耳を当てると、矢張り其処から隙間風は入り込んでいた。
……きっとこの先に何かが隠れ住んでいるに違いない。
私は手前にあるベッドをずらしてみた。すると、その壁の根元にキラリと綺麗に光る金具が飛び出している。
私は迷わず金具を引いた。金具に付いたチェーンが伸びる。
壁が上下に裂け、眼前から消え去った。
その向こうには階段。先の見えない闇。
私は持ってきていたカンテラに火を灯す。
そうして私は、この深い闇に最初の一歩を踏み入れた。
思えばこの時、私がこの闇に恐れず足を踏み出せたのは、昔に忘れ去った冒険心を胸に秘め直していたからなのかもしれない。
冒険者に憧れ、剣の腕を必死になって磨いた、あの頃のような気持ちに戻れたからかもしれない。
今になっては、何時も無難な道を選び続け刺激的な出来事を避けていた私。
私が足を踏み出すのは、私自身を新たな道へと進ま
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