前編

 かくして、彼の縁談は始まった。
 両国で示し合わせた縁談の手筈はこうだ。先ずは南の国の姫が北の国の王城を訪れ、中を案内しつつ王と談話する。次に、王が姫の王城を訪れ談話する。最終的に縁が実れば婚約する。政略結婚だとしても、双方の財を確認する為に住まいを訪れ合うのは通常の事だ。今回向こう側の提案で実現した見合いであるから、先ずは先方が此方へと来る事になっている。
 今日がその姫君が来訪する日。伝令からは順調に先方が此方に向かっている事は通達されていたから、日取りがずれるという事はない。
 彼は着慣れた国王服に腕を通す。相手の姫君への無礼は許されない。しかし出来れば相手から断られる様に持っていきたい、と考えていた。
 しかし、南の国の姫君との縁談を直前にして流行る自身の気持ちを無視する事は出来なかった。無感情に徹する事が適わない心境だった。
「……時間だな」
 時計を見ると、短針が真上を向いている。
 彼は其処から半刻程目を瞑ってから、部屋を出た。
 廊下で周囲を見回していた給仕が、彼を見て慌てて駆け寄って来る。
「こんな所にいらしたんですか、王様。姫君がもう門の所でお待ちです」
「うむ」
 他国の姫君を迎えるに当たり城下の大通りでパレードを催す筈で、その所為で出迎えるのは昼下がりになってからだ、と思っていた彼は、焦燥感を抱いて宮殿の入り口へ向かう。
 確かに、其処には可愛らしい少女の姿があった。馬車の傍で大きめの日傘を差して佇んでいる。伏せがちな目元からは独特の哀愁が漂い、知らない場所だからだろうか、身を一回り小さくさせている。その様子が、彼にとっては愛らしさを痛感させた。
(随分と気合いが入っているな……)
 彼女の衣装を目にして、彼は内心で呟いた。まるで花嫁が着るドレスの様な白無垢を身に纏っている。結婚に前向きであるという意志表示だろう、とそれを見た誰もが口に出さず内心察した。
 彼は、王族が慌てて参じるとみっともなく見える事は知っていたので、待たせていると判っていても敢えてゆったりとした足運びで出迎える。
「遥々御越し頂いてありがとうございます。さぁ、こんな所ではなんですから、中へ」
 彼女は日傘を傾けて顔を隠す。彼の後ろをてってってと付いて行く。その後ろで、行者が引いて来た馬車を執事が案内して行った。
 玄関まで来ると、彼女は日傘を畳んで腕に引っ掛ける。彼がその様子を何気なく目撃しているのを察すると、頬を染めて俯いた。
(奥ゆかしい人だな)
 彼はこの手の女性が好きだった。貴族や王族の殆んどは、自分こそが一番だと言わんばかりに着飾り前へ前へと出てこようとする。それが彼にとっては魅力的とは程遠い印象だった。
 煌びやかな王宮の中を案内している最中でも、彼女は顔を上げる事はなかった。只、彼の後を静かに付いて行き、話を聞いて「はい」「ええ」という返事をするのみに留まった。
 まるで平民の娘の様だ、と彼は感じていた。寧ろ、その方がしっくり来る。垢抜けない雰囲気、場に親しめず委縮する素朴な振る舞い。自信がないともいえる表情は、彼にとっては慎ましさを感じさせた。



―――――



 彼が南の国の姫君の姿を見たのは戦場が初めてだった。
 嘗て北の国と南の国が取り分け激しい諍いを起こしていた頃、国境付近での衝突により勃発した戦闘は後に大規模な総力戦へと発展した。
 その最中、最前線で剣を振る彼の前を、騎馬隊を率いて横切った光があった。
 それが南の国の姫君の姿だった。
    彼女の透き通る様なブロンドは後ろで一つに纏められて、それはユニコーンの尾の様に煌めいている。肌は東洋の白磁の様で、傷一つない。
 そんな麗しい見目とは打って変わり、その猛々しい姿と馬上から振り乱す太刀筋は将に戦場を異色の華で飾っていた。その姿に見蕩れていた自覚が彼にはあった。
 未だ女性経験など浅かった時分の彼にとって、其れは一目惚れと言うべきものだった。



    お姫様の騎乗する白馬に撥ね飛ばされるまでは。



 地面に叩き付けられた瞬間、彼の初恋は敗れ去った。
 序でに戦争にも負けた。
 国が滅ぶ事までは無かったが、彼は身も心もボロボロで数か月療養する派目になった。



―――――



「王様、昼食の準備が整いました」
 給仕が告げる。庭園を案内しようとしていた彼は、彼女に向き直る。
「判った。   それでは食卓に参りましょうか。……どうかされましたか?」
 彼女はぽーっと彼の顔を眺めていた。まるで熱に浮かされている様子で、彼は彼女の目の前で手を振ってみたり声を掛けてみたりするが、反応がない。
 縁談の相手とはいえ、未婚の女性の素肌に触れるのは問題があるが、其れでも仕方がないかと割り切って、露出する彼女の肩をそっと叩く。
「あの……もし?」

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