アゼルにとって、馬は幼い頃から憧れの対象だった。
多くの騎士や勇者の物語の中で、馬は欠かすことの出来ない優れた道具であり、時として伝説の力を持つ存在として語られている。
一日に千里を走り、あるいは見渡す大河を軽く飛び越え、またあるものは音よりも早く駆けると言う。
少年らしい無邪気さで物語の騎士に憧れたかつてのアゼルは、自分もそのような馬を手に入れ、乗り回すことを望むようになった。
毛並みの美しい白馬に跨り、輝く鎧を身にまとった騎士物語の挿絵を将来の自分にあてはめ、想像の中で世界を駆けまわる。
それが幼き日のアゼルにとっての、ほぼ毎夜ベッドの中で繰り返される空想、将来の夢であった。
そうして育ったアゼルだが、やはりと言うべきか現実はそうそう上手くいかない。
アゼルは別段騎士の家系でも無く、小さな村の農夫の次男坊として生まれた身であり、外に出る機会も無く村の中で暮らしてきた。
小さな村には上等な牧場も無く、村の中で家畜と言えば牛かロバかといった所。馬などそうそう見れるものではない。
牛やロバに乗ってみたところでかつて憧れた騎士の姿とは似ても似つかず、到底様になどなりはしない。
馬を見ることのできる数少ない機会と言えば、時折村に立ち寄る旅人が連れているのを見るくらいだが、残念なことにどれも大して上等なものではない。
荷物運び程度にしか使えないような華奢なものや、逆に身体が大きすぎて無骨すぎるもの。かつて絵で見た憧れの白馬と比べるべくも無いものばかり。
あれでは村のロバの方がよほど働けそうだ、とアゼルは期待を裏切られるたびに失望の溜息を漏らす。
旅人からの話の上で、どこそこの馬は良いとか、どこの国には名馬がいるとか聞くことがあっても、実際にこの目で見ないことには全く要領を得ない。
自分の身の程を知るにつけ、名馬を手に入れ乗りまわすことなどとうに諦めてしまったアゼルであるが、それでもかつて見た憧れを忘れ去ることが出来ないまま。
せめて一目でいいから、かつて憧れた壮麗な白馬を実際に見てみたい、というのが今のアゼルにとってのただ一つの小さな望みなのだった。
農夫の次男坊と言う立場のため、アゼルは村の中であれこれ下働きに出されることが多い。
限られた農地で暮らしていくにはどうしても限りがあり、いずれは独立してどこかで職を得て暮さねばならないことを、アゼルも理解してはいる。
兄には村の中でいい人がいるようだし、自分が家にいる限り兄と彼女とが結ばれるのは難しいだろう。
兄は自分のことを邪魔者だと考えてなどいないのだろうが、それでもこのまま暮らし続ける訳にはいかないのだ。
かつては村の外、世界を舞台に駆ける騎士や勇者を夢見た少年も、年を経るにつれてその想いを萎ませていく。
村の中、穏やかな生活ができるのであればそれで満足できる程度に、アゼルは大人になり、そして小さくなってしまったのだ。
世間的には夢を追うのに遅いといった年頃でもないのだが、新たな夢を見つけるにはアゼルにとっての世界は小さすぎたのかもしれない。
村にある酒場や宿屋で仕事をもらい、いずれ新たな住居を建てるべくこつこつと金を溜めていく。
最近ではようやく貯金がある程度まとまり、そろそろ家を出ることも可能になるかもしれない。
それでもやはりアゼルの胸の内は沈んだままで、特に理由も無いのに溜息を吐く日々を過ごしてしまっているのだ。
そうして暮らしていたある日のこと。
村長と酒場の主人からアゼルに、村の外へのお遣いの仕事がまわされることとなった。
村からいくらか離れたところにある、この地域ではそれなりに発展した町まで。
仕事の内容は簡単な荷物運びと、村まで配達してくれる商人への注文届け。
とても簡単な仕事であるが、アゼルの心は久々に浮ついた。
と言うのも、アゼルにとって村から外の町へ出るのはこれが初めてのことになる。
小さな村と、せいぜいその周辺の森や山、小さな世界しか知らないアゼルにとっては、町までのお遣いも一世一代の冒険に等しい刺激と興奮を与えてくれる。
特に急ぎの用事がある訳でもなく、旅費も村長から十分すぎるほどの額をもらうことができた。
町の中を見物して回れば、何か自分の知らない新しいものが見られるかもしれないし、何より大きな町であれば立派な馬だっているかもしれない。
アゼルははしゃぐ心を抑えきれないまま、ある程度の資金を懐に、町まで送ってくれるという旅の行商人と共に村を離れたのだった。
それは、アゼルのことを思う村の人々からの精一杯の厚意であったのかもしれない。
アゼルが村の中、特に何の希望も持てずに鬱屈した日々を送っていることは、村の誰でも一目見れば理解することができた。
かつて将来の夢に目を輝かせた少年が、志をもって生きるには村の世界は小さすぎた。
村の外の世界を知る
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