「…どうしたの?」
日が陰り始めた森の中。釣りを終え、山小屋へ帰る途中。
アレクは、後ろを振り向きながらそう言った。
視線の先には、あからさまに機嫌が悪そうなワーキャットの姿。
「…にゃおぅ」
アレクの言葉に、彼女は低い唸り声で答える。
先ほどから、ずっとこの調子だ。アレクの後を、何やらモノ言いたげな態度でずっとついてきている。
つかず離れず。まるで、目の敵にするような眼つき。
「………」
どうやら、自分は彼女にあまりよく思われていない様子だ。
お近づきの印のつもりで魚をあげたのだが、これも効果が無い様子。
どうすれば、彼女は気を許してくれるのだろうか。
アレクは思案する。そして、ふと思い出した。
肩に担いでいた桶と釣竿を下ろし、腰に括りつけておいた袋に手をかける。
袋の紐を解く。ぴくり、と眼前でワーキャットが反応する。
「…ふに?」
取りだしたのは、マタタビの実。先ほど彼女と会う前に森の中で見つけたモノだ。
元々は果実酒を作るために取ったのだが、猫はマタタビの香りを好むと聞いた事がある。
それならば、ワーキャットである彼女もこの香りを好むのではないか。
「…にゃ、にゃおぅ…」
眼に見えて、彼女の様子が変化した。
顔を上気させ、つりあがっていた目尻が緩む。
そのまま、夢うつつの表情でこちらへ近づいて来ようとして、
「――にゃ…!」
はっとして、首を左右に振る。正気に戻ったらしい。
素早く後ろに飛びずさり、警戒心を高める様にこちらを睨みつける。
だが、それもあまり持たなかった。徐々に眼がとろんとしてくる。
「…ふ、ふにゃあ…」
とうとう、力無く地面に顎をつけるワーキャット。
…此処まで、効果があるとは。
そして、アレクは葛藤する。この後、どうするべきか。
「…ふ、ふー、ふー」
ワーキャットの鼻息が荒れてきた。前足の爪が、地面に喰い込むほど強く押し付けられている。
見たところ、彼女がこれを好んでいるのは間違いない。
しかし、猫のように駆け寄ってこないのは…おそらく、それほど人間が嫌いだから。
暫し考える。結論は、すぐに出る。
「…それなら、こうするしかないよね」
アレクは、地面にマタタビの実を置く。
そして、その場から後ろ歩きに彼女から離れる。
「…にゃ?」
ワーキャットの鋭いかつ訝しげな視線が、アレクを突き刺した。
ちゃり、と重い鉄の錠が音を立てる。アレクの脳裏に、一瞬だけ恐怖が蘇る。
アレクは彼女に対して、できうる限りの優しい笑みを返した。
「此処に置いておくね。いらなかったら、それで良いから」
今、彼女にこれ以上近づくのは得策ではない。
しかし、いつかもっと近づけるようになりたい。
そして彼女を、あの楔から、自由にしてあげたい。
「じゃあ、ね」
アレクは、踵を返す。
全くの、無警戒に。
「にゃ、おぉぉ…!」
不意に聞こえた、低くよく通る鳴き声。
それは、猫が怒った時に出す声に似ていた。
「え――」
はッとして、アレクが振り向くのと、
「んにゃあっ!」
ワーキャットがアレクに飛びついてくるのは、同時だった。
●
ふざけるな。
吾輩が人の言葉を話せたのならば、そう叫んでいただろう。
全くもって、腹立たしいにも程がある。どうしてこの男は――そんな顔で、そんな事を言うのか。
男がマタタビを取り出した時、吾輩は確かにその香りに惑わされていた。
だが、吾輩は内心激昂し、そしてどこか安心していたのだ。
やはりこの男も――奴らと同じなのだと。
マタタビは、ワーキャットを腑抜けにする。
理性を封じられ、獣同然にされ…そうして思考を短絡的にしたところで、奴らは吾輩達を捕えようとするのだ。
目の前のこの男も、あのゲテモノ人間達と同じ。それならば、吾輩は何の抵抗もなく、この男を拒絶できた。
だと、いうの、に。
「…それなら、こうするしかないよね」
わかってしまった。
あろうことか、この男は何も考えていなかった。
吾輩をどうこうしようなどとは、露ほどにも思っていない。
「此処に置いておくね。いらなかったら、それで良いから」
そこらの猫に餌をやるのと同じように、吾輩の前にマタタビを置いた。
猫風情と同列扱いされた事は、腹が立つ。しかし、それはそれだけの事。
この男を、殺したいほど憎む理由にはならない。
「じゃあ、ね」
憎みたくても、憎めない。
マタタビ然り、先刻の魚然り、吾輩は悉くこの男に軽くいなされている。
これではまるで、吾輩が道化であるかのようではないか。
――にゃ、おぉぉ…!
我慢の限界だった。
眼前に置かれたマ
[3]
次へ
ページ移動[1
2 3 4 5]
[7]
TOP [9]
目次[0]
投票 [*]
感想[#]
メール登録