「イヴァン・エル・ブストゥム・アクイラ」
かなり言いづらそうに、ヤンがウィルの言葉を復唱する。
ウィルは、アレクとヤンに対面する形で、所在無げに席についている。
差し出された果実酒にも手をつけず、そわそわと未だ落ち着かない様子だった。
「長ったらしい名前だな。お前がそいつの部下なのはわかったが…なんでそんなに長いんだ」
「この国では、名前の後に治める領地の名前が連なりますから…
私の主はアクイラ伯領の領主なのですが、ブストゥム辺境伯も兼務しておりますので」
「おいおい、二つも領地持ってるってことか。最強かそいつは」
「…私の記憶では、以前ブストゥムを治めていたのは違う方だったと思うのですが」
顎に手をやりながら、アレクはウィルへ質問を投げかける。
ブストゥムというのは、マルクの村から此処近辺の森を含む一帯を示す地名。
森と山を挟んで隣国に接するこの地は、それなりの軍事力を持つ事を許された辺境伯によって統治されている。
しかし、その辺境伯が交代したという話は、聞いたことがない。
「少し前のことなのですが…前辺境伯は、急遽病で亡くなりました。
前辺境伯の一人息子も、数年前の国境戦で戦死しています。
それで、私の主が、代わりに…」
「跡継ぎもいなかったってわけか。何とも、儚いことで」
「…そう、だね」
病。…本当に、そうだろうか。
前辺境伯は確かに歳をとってはいたが、身体が弱っているようには思えなかった。
彼は数年前の国境線でいたずらに兵を浪費し、国力を低下させた咎がある。
実際に、伝染病で急死した可能性もある。しかし、どうにも腑に落ちない。
「ところで、お前って騎士なのか?
そのイヴァンなんたらに仕えてるって話だが、そう腕っ節が強いようには見えねぇんだが」
「あ、いえ。私は、アクイラ伯が住まう屋敷の使用人です。
書物や書類の整理、その他雑用などを任されております」
確かに、ウィルの服装は騎士というよりも文官の出で立ちだった。
年齢から察するに、書記官の見習いか何かとして、アクイラ伯の屋敷で働いているのだろう。
「なんで、本を整理する人の、ウィルが、ここまで、来たの?」
そう聞いたのは、机に身体を乗り出すようにして話を聞いていたメディだった。
まだ魔物に慣れていないのか、ウィルは少しだけ驚いた様子を見せた。
しかし、すぐに気を取り直してメディの方へと向き、ボソボソと答える。
「その…実は、これは内密にして頂きたいのですけど…
私の主であるアクイラ伯は、現在病に倒れているのです。
治療薬の材料がこの辺りにあると聞き…居ても立っても、いられなくなりまして」
「その病というのは…もしかして、『黒い死神』?」
「…はい。アクイラ伯はお年を召した方ですので…そう長くは、持たないかもしれません」
沈痛な表情で、ウィルは言葉を紡ぐ。
騎士であるレオン達と違い、彼は長旅を得意としていないのは明白だった。
だというのに、彼はわざわざこんな辺境までやってきた。
彼をそうまでさせるほど、アクイラ伯は人望の厚い人物であるということ。
アレクは改めて、彼の手腕に感心させられた。
「レオンさんとは、どういった関係なのですか? 彼が君を探していた理由を知りたいのですが」
「レオンさん…いえ、レオンハルト隊長は、私と同じくアクイラ伯に仕える騎士なのです。
現在、アクイラ伯はブストゥム伯領の屋敷にいらっしゃいます。
彼はそこで護衛隊長を勤めており、先日まで私も同じ屋敷で使用人として働いていました」
「コルレオニス騎士団の団員は、レオニス公に仕えてるんじゃねーの?
さっき聴いてた話だと、あいつらはレオニス公の命令で動いてるって言ってたが」
「あ、ええと、その辺りはちょっと複雑で…」
言い淀むウィル。
助け舟を出すように、アレクが身を乗り出す。
「レオンさんやテオさんは、基本的にはアクイラ伯に仕えているけど、同時にレオニス公にも仕えてるんだよ。今回みたいな非常時にだけ、レオニス公はコルレオニス騎士団に所属するレオンさん達に直接指示を出せる。そうだよね?」
「は、はい。今回のマンドラゴラ捜索は、レオニス公の緊急命令によるものです。
しかしレオンハルト隊長は、レオニス公の命令というよりも『黒い死神』に取り憑かれてしまったアクイラ伯のために動いているはずです。
レオニス公の命令と称して調査を行っているのは、その方が都合がいいからだと思います」
「…つまり、レオンとやらはレオニス公の指示で動いてることになってるが、
本当はアクイラ伯のためにマンドラゴラを探してるってことか?」
「はい。そうだと、思います。
アクイラ伯が病に臥せっていることが知れたら…あまり、良くないことに
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