とある従者の不思議な探検。そのに。

 がしゃん、と硝子の割れる音が室内に響き渡る。
 粉々になった容器の欠片が、地面に散らばった。
 中に入っていた緑色の液体が床に撒き散らされ、絨毯を暗緑色に染める。

「よぉ。お前が、かの『賢者』殿か?」

 目の前に立ち塞がった大男が、その大柄な体格にふさわしい声音で告げる。
 黒い甲冑に、黒い兜。顔は面覆いに隠され、表情はほとんどわからない。
 にやりと釣り上がった、口元。それだけが、彼が笑っているということを示していた。

「誰、ですか。アクイラ伯の使い…では、ありませんね」

 もしそうであるのならば、鎧の何処かにコルレオニス騎士団の紋章があるはず。
 何の紋章も描かれていない、黒い鎧。それは、この大男が非正規のならず者であることを意味する。
 所属不明の、黒い騎士。
 危険な香りを感じ取り、『賢者』は傍らに立てかけられた杖に手を伸ばそうとした。――しかし、

「おっと。余計な真似はしないで貰えるかい?」

 そう言いながら、黒い騎士は親指で背後を指さす。
 『賢者』は釣られて視線をそちらへと向け、そして凍りついた。

「――マリア…っ!」

 人形のようにだらりと垂れ下がった、線の細い肢体。
 黒い騎士の部下らしき二人によって両脇を抱えられた彼女は、ピクリとも動かない。
 眠るように目を瞑る彼女の額には、奇妙な文字が記された紙が貼り付けられている。
 何らかの、呪物。『賢者』の脳裏が、真っ白に染め上げられる。
 
「そういうことだ。そういえば、死なないんだってなコイツ。
 試しにぶった切ってみてもいいんだが…まあ、やめとくか。その必要もなさそうだ」

 片手で手斧を弄びながら、黒い騎士は飄々と言ってのける。
 怒りに、身を任せては、いけない。
 歯を噛み締めながらも、『賢者』は努めて冷静になろうと呼吸を整える。
 確かに、少し斬りつけられたくらいでは彼女はびくともしない。
 しかし、相手はおそらく、彼女の正体を知っている。下手に手を出せば、彼女がどうなるかわからない。

「…何が、目的、ですか」

 振り絞るような声で、『賢者』は訥々と述べる。
 笑みを形作っていた黒い騎士の口元が、さらに歪みを増す。
 
「何、大したことじゃない。とある捜しモノに、お前とお前の知識が必要らしいんでね。
 まあ、詳しい説明は後だ。ご同行願おうか、『賢者』殿。
 ――お前の『聖女』を、無事返して欲しけりゃな」

 黒い騎士が、背を向ける。彼女が、連れ去られていく。
 相手がただの野盗であったのならば、他にやりようはあった。
 しかし、彼らの動きは明らかに訓練された人間のそれだった。選択の余地は、ない。
 無力感に苛まれながら、『賢者』は傍らに置かれた杖に手を伸ばした。
 彼女を――僕の『聖女』を、守るために。
 


 マンドラゴラ。
 女性の姿をした根を持つ、植物型の魔物。
 草原や森に生息すると呼ばれるが、この国での目撃例はほとんどない。
 性格は非常に臆病で、地面から引き抜かれた際の悲鳴を除けば害はない。
 その根は様々な薬の原料として重宝され、魔術師の間では高値で取引されている。

「――と、そのようなモノと記憶していますが、お探しのものはそれで間違いないでしょうか?」
「ええ、その通りです。流石は『森の隠者』殿。よくご存知ですね」
  
 対面の椅子に座るレオンハルトが、屈託の無い笑みを浮かべる。
 すらりとして凛々しい外見とは裏腹に、笑うとまるで幼い少年の様に見えた。
 その眼差しに必要以上の畏敬の念を感じ、アレクは少し気不味い気持ちになった。

「あの…『森の隠者』というのは、私のことですか?」
「そうですが…おや、もしかして、自身がそう呼ばれていることをご存じなかったのですか?」
「ええ…まあ、そうですね」

 曖昧な返答を返しながら、アレクはちらりとレオンハルトの右隣に座っているマルクに視線を向ける。
 どうしてこんなことになっているのか、説明して欲しい。
 そんな意思を視線に乗せてみたが、その疑問に答えたのはレオンハルトの左隣に座っていたもう一人の来訪者だった。

「この近辺では、結構有名っすよー。人里離れた森に住んでる、知識豊富で説教上手の隠者様って触れ込みで。
 どんな揉め事だったとしても、魔法でも掛けられているかのように当事者が納得してしまうとか何とか」

 どこか軽い雰囲気のこの男は、レオンハルトの部下でテオバルトというらしい。
 鉄製の甲冑と剣という一般的な騎士らしい風体。
 あからさまにやる気がなさそうだが、不思議とどこか愛嬌があるように見える。
 
「おい、テオバルト。その口調をどうにかしろといつも言っているだろう」
「良いじゃないっすか。頭の硬いお歴々の相手してるわけじゃないんですし。
 隠者様も、
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