気儘な騎士と我儘な姫君。(前篇)

「お疲れ様です。いや、いつもありがとうございます旦那」

 不揃いな歯を見せながら、マルクは椅子に座るアレクに向けて笑いかける。
 相変わらず、何か裏があるような細い目つき。しかし、どこか愛嬌があるから不思議なものだ。

「いえ、私もお役に立てて光栄です。…あ、ありがとうございます」

 差し出された果物酒を一舐めし、アレクはふうと息を吐き出した。
 ずっと話し続けていたせいか、随分と喉が渇いていた。
 甘く爽やかな風味が、とても心地よく感じる。

「ニコもジャンも、一応は納得したそうです。
 ジャンは若干不服そうでしたが…まあ、元はと言えばジャンが契約書を読み違えたのが原因でしたからね」
「一応詐欺である可能性もあるので調べてみましたが、契約書にこれといって妙なところはありませんでした。
 その…すみません。結果的に、村の方にとっては不利な結論となってしまって」
「いえいえ。悪かったのは、我々村の人間の方ですから。きっちり筋は通しておかないと、村の沽券に関わります。
 ニコはこの村常連の行商人…妙な噂を立てられてしまっては困りますからねぇ」

 マルクの味方になれなかった事は少々心苦しかったが、仲裁人は平等でなければならない。
 しかしアレクは、この結論に少しほっとしていた。
 もしニコという行商人が契約書を偽装していたなら、話はもっとややこしい事になっていた。
 それこそ、下手をすれば血を見る結果になってしまう程に。

「それにしても…旦那、一つ聞きたいんですが。
 旦那はもしかして、前は聖職者か何かだったので?」
「え?」
「ああ、いや、すみません。人の過去を詮索するなんて、野暮なことだとわかっちゃいるんですが…
 旦那の聖句を混じえた話しっぷりが、まるで神父様のようだったんで。しかも、文字の読み書きもかなり達者ときた。
 しかし商人にしては、欲が無い。だとすれば、後考えられるのは…とまあ、そんな風に考えてみたのですが」

 頭を掻きながら、マルクは言う。
 その顔を見る限り、その質問に深い意味はないようだ。単なる世間話らしい。
 もし何か裏があるのであれば、アレクはすぐにわかる。そういう人間の顔を、見過ぎていたから。

「そうですね…当たらずとも遠からず、といったところです。
 私は以前、修道院に住ませて頂いていたんですよ。修道士というわけではありませんでしたが」

 半分以上、本当の事だ。隠すほどの事でもないので、正直に白状しておく。
 ああ、とマルクは納得したような声を挙げる。

「やや、それはまた…そういう事ですか。
 それじゃあもしかして、旦那が果実酒の造り方を知っていたのは…」
「ええ。聖句も文字も、そして醸造方法も、全て修道院で学びました」
「成程…合点がいきました。道理で、旦那の果実酒は美味しいわけだ。修道院仕込みだったとは」

 予想外だったが、得心がいった。そんな様子で、マルクはにこりと笑う。
 本当は、まだ秘密にしている事があるのだが…さすがに、それを此処で言うのは憚られた。
 アレクは本心を胸中に押し隠しながら、マルクに軽く笑い返す。
 マルクが手に持つジョッキを掲げてきたので、アレクもそれに答える。こん、と小気味の良い音がした。

「今後とも、我が村を宜しくお願いします。旦那」
「こちらこそ。また何かあれば、遠慮無く言って下さい」

 ほぼ同時に、果実酒を口に流し込む。静かな、そして和やかな雰囲気。

「にゃおぅ…」

 そんな一時を破ったのは、猫の小さな鳴き声だった。どことなく、不機嫌そうな声音。
 眼前に座るマルクの身体が、ぎくりと強張る。アレクは、思わず苦笑いを浮かべてしまった。

「ええと…すみません。そろそろ、彼女が退屈してきたみたいですね」
「…そのようで。もしかしたら、昼間から酒盛りしているのがバレたのかもしれませんなぁ」
「かも、しれませんね。それじゃ、私はこれで」

 果実酒を飲み干し、いそいそとアレクは立ち上がる。
 マルクは手早くジョッキと瓶を片付け、出口へ向かうアレクへ向き直る。

「それじゃ旦那、お気をつけて。…その、お連れの方にも、宜しく言っておいてください」
「ええ、確かに。それでは」

 村人達の彼女に対する心象も、少しずつ良くなってきている。
 その事を嬉しく思いながら、アレクは扉に手をかけた。
 


「ふにゃあ…」

 時は昼下がり、緩やかな陽光の下。何とも、気の抜けた鳴き声が聞こえてきた。
 ちらりと脇を見やると、ちょうどルイが大口を開けて欠伸をしているところだった。
 寝ぼけ眼で顔をごしごしと洗い、そしてまた丸くなる。

 御者台は狭い。当然のごとく、彼女とアレクは密着している。
 彼女がそれを嫌がる様子は、全く無い。少し前までなら、考えられなかった事
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