「お疲れ様です。いや、いつもありがとうございます旦那」
不揃いな歯を見せながら、マルクは椅子に座るアレクに向けて笑いかける。
相変わらず、何か裏があるような細い目つき。しかし、どこか愛嬌があるから不思議なものだ。
「いえ、私もお役に立てて光栄です。…あ、ありがとうございます」
差し出された果物酒を一舐めし、アレクはふうと息を吐き出した。
ずっと話し続けていたせいか、随分と喉が渇いていた。
甘く爽やかな風味が、とても心地よく感じる。
「ニコもジャンも、一応は納得したそうです。
ジャンは若干不服そうでしたが…まあ、元はと言えばジャンが契約書を読み違えたのが原因でしたからね」
「一応詐欺である可能性もあるので調べてみましたが、契約書にこれといって妙なところはありませんでした。
その…すみません。結果的に、村の方にとっては不利な結論となってしまって」
「いえいえ。悪かったのは、我々村の人間の方ですから。きっちり筋は通しておかないと、村の沽券に関わります。
ニコはこの村常連の行商人…妙な噂を立てられてしまっては困りますからねぇ」
マルクの味方になれなかった事は少々心苦しかったが、仲裁人は平等でなければならない。
しかしアレクは、この結論に少しほっとしていた。
もしニコという行商人が契約書を偽装していたなら、話はもっとややこしい事になっていた。
それこそ、下手をすれば血を見る結果になってしまう程に。
「それにしても…旦那、一つ聞きたいんですが。
旦那はもしかして、前は聖職者か何かだったので?」
「え?」
「ああ、いや、すみません。人の過去を詮索するなんて、野暮なことだとわかっちゃいるんですが…
旦那の聖句を混じえた話しっぷりが、まるで神父様のようだったんで。しかも、文字の読み書きもかなり達者ときた。
しかし商人にしては、欲が無い。だとすれば、後考えられるのは…とまあ、そんな風に考えてみたのですが」
頭を掻きながら、マルクは言う。
その顔を見る限り、その質問に深い意味はないようだ。単なる世間話らしい。
もし何か裏があるのであれば、アレクはすぐにわかる。そういう人間の顔を、見過ぎていたから。
「そうですね…当たらずとも遠からず、といったところです。
私は以前、修道院に住ませて頂いていたんですよ。修道士というわけではありませんでしたが」
半分以上、本当の事だ。隠すほどの事でもないので、正直に白状しておく。
ああ、とマルクは納得したような声を挙げる。
「やや、それはまた…そういう事ですか。
それじゃあもしかして、旦那が果実酒の造り方を知っていたのは…」
「ええ。聖句も文字も、そして醸造方法も、全て修道院で学びました」
「成程…合点がいきました。道理で、旦那の果実酒は美味しいわけだ。修道院仕込みだったとは」
予想外だったが、得心がいった。そんな様子で、マルクはにこりと笑う。
本当は、まだ秘密にしている事があるのだが…さすがに、それを此処で言うのは憚られた。
アレクは本心を胸中に押し隠しながら、マルクに軽く笑い返す。
マルクが手に持つジョッキを掲げてきたので、アレクもそれに答える。こん、と小気味の良い音がした。
「今後とも、我が村を宜しくお願いします。旦那」
「こちらこそ。また何かあれば、遠慮無く言って下さい」
ほぼ同時に、果実酒を口に流し込む。静かな、そして和やかな雰囲気。
「にゃおぅ…」
そんな一時を破ったのは、猫の小さな鳴き声だった。どことなく、不機嫌そうな声音。
眼前に座るマルクの身体が、ぎくりと強張る。アレクは、思わず苦笑いを浮かべてしまった。
「ええと…すみません。そろそろ、彼女が退屈してきたみたいですね」
「…そのようで。もしかしたら、昼間から酒盛りしているのがバレたのかもしれませんなぁ」
「かも、しれませんね。それじゃ、私はこれで」
果実酒を飲み干し、いそいそとアレクは立ち上がる。
マルクは手早くジョッキと瓶を片付け、出口へ向かうアレクへ向き直る。
「それじゃ旦那、お気をつけて。…その、お連れの方にも、宜しく言っておいてください」
「ええ、確かに。それでは」
村人達の彼女に対する心象も、少しずつ良くなってきている。
その事を嬉しく思いながら、アレクは扉に手をかけた。
●
「ふにゃあ…」
時は昼下がり、緩やかな陽光の下。何とも、気の抜けた鳴き声が聞こえてきた。
ちらりと脇を見やると、ちょうどルイが大口を開けて欠伸をしているところだった。
寝ぼけ眼で顔をごしごしと洗い、そしてまた丸くなる。
御者台は狭い。当然のごとく、彼女とアレクは密着している。
彼女がそれを嫌がる様子は、全く無い。少し前までなら、考えられなかった事
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