明るかった空も藍色に染まり始め、時は昼から夜になり、獣たちの目が光り出す。締め切られていたカーテンが開けられ、屋敷の窓に月光が差し込んだ。
軋む音を上げ、つやのある黒い棺が扉を開けた。
中からは黒を基調としたドレスを身につけ、銀色の髪を内側にカールさせた女性が起きあがった。そして棺の縁を扉のようにして開け、その横に置かれていた車いすに自分で移動して座った。
「ウィルーッ、ウィルーーッ!!」
「はい、お嬢様。ここに…」
彼女は大声で『ウィル』と彼の名を呼んだ。扉を開け、その部屋に入ってきた黒いタキシード姿の黒髪の若い男性。『ウィリアム』が彼の本名であったが、一々ウィリアムと呼ぶのが面倒だと、『ウィル』という愛称で呼ばれている。
「ウィル、車いすが不調よ。この耳障りな音を無くして。五分でよ」
「はい、お嬢様」
ウィリアムはそのキィキィと音の鳴る車いすの車輪の軸に差す油を取り出すと、その音の発生源に油を落とした。そして緩んでいたネジやボルトを締め直し、その工具を腰の後ろのホルスターに直した。
「終わりました。いかがでしょうか?」
ウィリアムは車いすを多少前後に動かし、調子を確かめ主人に確認した。
「いいわ。時間も指定内よ、だけど次からはこのようなことの無いようにしなさい。」
「申し訳ありません、お嬢様。
では、お食事の用意が出来てございますので」
「ええ。ウィル、押しなさい」
ウィリアムは主人の椅子を押し、スロープになった階段を下っていき食堂に入った。長いテーブルの上に焼かれたハムとトースト、ミルクティーが用意されていた。
椅子をその前に止めると、ストッパーをしてウィリアムは脇に控えた。
「今宵のメニューはハムの…」
「いいわ、見れば分かることよ」
「…失礼いたしました」
彼女はロザリア=ラン=ミューラシカ(発音ではランミューラシカと発音)。代々続くヴァンパイアの血筋、ミューラシカ家の本家当主である。母はすでに夫と共に離れて暮らしており、彼女がこの大きな屋敷にウィリアムと二人で暮らしている。料理、買い物、洗濯、掃除、庭の剪定、その他諸々の作業をウィリアムが一人でこなしている。
もちろんロザリアの身の回りの世話も彼の仕事だ。ロザリアの車いす生活は先天性の病によるもので、今日で七年九ヶ月と十七日になる。
ウィリアムは彼女が十二の時に母が寄越した。その時は彼が十一で、言葉遣いも分からないような子供だった。ロザリアの叱咤とわがままがウィリアムの物腰と知識を完成させたのだ。知識は世界情勢に始まり、経済状況から料理、家事全般にまで至った。
元々世話焼きの性格だったのが功を奏したのだろう、執事兼使用人として完成されるまでは一年と二ヶ月しか掛からなかった。
「ウィル、血を」
食事を完食してロザリアは言った。
「はい、お嬢様」
ウィリアムは袖を捲って跪(ひざまづ)き、その決して華奢ではない腕をロザリアの目前に差し出した。ロザリアは両手を添え、その腕に噛み付いた。牙が皮膚を貫くがウィリアムは眉一つ動かさず、その行為が終わるのを待った。
一方ロザリアは、漏れそうになる声を必死に抑えて血を吸った。淡く紅潮した顔はあくまでも平然を装おうとしていた。彼女の感じる快感と多少異なるにしても、ウィリアムにもその快感は伝わるはずだが、数年間従い、付き添ってきた彼はその抑え方も身につけていた。元々はロザリアの「静かにしなさい」という言葉が発端なのだが。
「……もういいわ」
「はい」
ロザリアはその唇の血を舐め取り、そう言い捨てた。ウィリアムはその右腕に袖を被せた。
「ウィル、外の風に当たりたいわ。散歩に付き合いなさい」
「はい、お嬢様」
二人は夜のヒンヤリとした空気の中、ランタンによって照らされた道を進んでいた。ロザリアにとっては清々しい朝といったところだ。
「ウィル、次の食事は牛肉が食べたいわ。調理法は任せる」
「分かりました」
「あと、新しい服も欲しいわ。買ってきなさい。…そうね、リボンの付いた帽子とドレスがいいわね、色は…気分を変えて白が良いわ。青みのあるような物でゆったり体に合う物よ。分かったわね?」
「はい、お嬢様」
「…散歩も飽きたわ。戻るわよ」
「はい」
二人は散歩を終え屋敷に戻った。すると、ロザリアは一つのドアを指さした。
「分かりました」
ウィリアムはそのドアの前に行き、そのドアを開け、車いすを中に入れ、閉まっていた蓋を開け、その上に主人を移し、外に出た。
「失礼いたします」
ドアを閉め、ウィリアムは外で待機した。
暫くして、中からロザリアが呼ぶ。
「ウィル、いいわよ」
「はい、失礼いたします」
中に入り、何事もなかったかのように座っているロザリアを車いすに戻した。ちなみにこの部屋は他では『
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