木の板を隙間なく並べ作られた壁と屋根と床、その内側には少し毛足の短い毛皮がびっしりと貼られ、馬車の中の温度を逃がさぬようになっている。とはいっても北方の冬口と同じくらい下がっている外気温の上では、それも暖かいとは言い難かった。
「ううぅぅぅ…ぶぇっくしょんッ!」
ノルヴィのくしゃみが馬車のあたりに木霊する。足腰のしっかりした馬が牽引する3人を乗せた馬車は、いまルプス山脈の8合目と7合目の境を過ぎたあたりだった。その高さになると、雲はもう霜か霧という認識に変わり、視界はやっと数メートル先が認識できる程度まで悪化している。
気温も先ほど述べた様に氷点下となり、ノースビレッジで手に入れた防寒具なしではあっという間に凍えてしまう。
ノルヴィはどうやら暑さに強く寒さに弱いという人物らしい。この山を越えるとわかったときにあからさまに落胆していたのはこの寒さが原因か、とトーマは納得した。
そしてテンションが下がっているのがもう1人。トレアはトカゲの特徴を持つリザードマンであるが故に、寒さに極端に弱く動きが鈍くなる。羽毛が使われた防寒具を着てフードを被り、手袋に尻尾袋、ブーツまで身に着けているというのに、それでも静かで動こうとしない。
「…大丈夫か?」
トレアの身を気遣ってトーマがそう訊ねると「せ…戦士たる者…このくらい…」と眠そうな声で虚勢を張って返した。
「…それにしても…」
不意にノルヴィが恨めしそうな目を、トレアの頭を肩に乗せて座っているトーマに向けた。
「その何とかスーツってちょっとズルいんじゃないのッ?!」
彼は今パイロットスーツを身に着けていた。なにせ、宇宙空間でも数時間なら単独で活動が可能という性能を備えたものだ。新構造のカーボン素材を使っているため、従来の宇宙服より軽く薄く作られていて動きやすいうえ、断熱効果も高い。
「しょうがないだろ、俺の防寒具を買う余裕がなかったんだ」
「にしてもズルいッ!」
「それに顔は出っぱなしだから寒い」
「顔だけでしょッ!?こちとら全身ガタブルだっつーのッ!」
そんなやり取りをしていると呆れた顔でミラが後ろの幕を捲って顔を覗かせた。
「ノルヴィ、あんまり騒いでると持たないわよ?」
「ちょ、さむっ、ミラっち閉めて、閉めて…」
「はいはい…もうちょっとで今夜泊まる山小屋よ。そこまで我慢して」
ミラがそう言って幕を閉めると、ノルヴィは「う〜っす…」と返事をした。外を歩くミラは防寒具も身に着けているが、それに加えて保護魔法で寒気をある程度軽減していた。そうでなければ、草原出身の彼女がこの寒さに耐えるのは厳しいのだ。
霞みがかる景色の奥の方にうっすらと影を見つけ、辺りに危険がないかを確認しつつ前進していく。こうも視界が悪いと、すぐそこに崖があっても気づくのは難しい。油断がために転落してしまっては冗談にはならない。
小屋らしき影まで道があるのを確認し、馬に来てよしの合図を出すと馬車は小屋にまっすぐ向かった。
「みんな、着いたわよ」
「うへぇ〜、助かったぁ…」
ノルヴィは馬車を下りると真っ先に小屋に駆け込み、暖炉に火を灯し暖を取った。そのあとにトレアを連れてトーマが入ってくると、彼女を暖炉の前に寝かせた。
「…はぁ…あったか…♪」
トレアは鈍い動きで体を起こし、灯に当たった。その顔はいかにも幸せそうだった。
ミラは馬が凍えないように小屋の中へ連れ込んで、彼に労いの言葉をかけた。すると、トーマが話しかけた。
「ミラ、あとどれくらいで山脈洞に着くんだ?」
「そうね…明日には山脈洞入口の小屋に着くと思うわ」
「そうか」
スプル山脈洞は、スプル山脈の9合目を過ぎたあたりにある洞穴だ。スプル山を南北に突き抜ける大きな通り道で、山を越える際には必ずと言っていいほど誰もが利用する近道だ。
先人たちが長年かけて掘り進んだもので、固い岩盤がその真下まで迫っているが故にそれより低いところに掘ることができなかったが、それでもだいぶ楽になるのは確かだった。
トーマはそれだけ聞くと暖炉の前に戻った。
食事も摂って日も暮れた。一層寒さは厳しくなり、4人は毛布に包まって休んでいた。
トーマは夢を見ていた。それは彼がこの世界へ来る約1年前のことだ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「よう、トーマ。なんだ、今日も浮かない顔だな?」
その青年は、トーマに向くと親しそうにあいさつした。彼は黒髪で、青みのある灰色と白のツートーンカラーの作業着を着ていた。腰には工具が備えられたベルトをして、頬には手で擦った時にでも着いたのか、黒い汚れがあった。
「ほっとけ」
トーマは手に持っていた2つのコーヒーが入ったカップの内の一つを彼に向かって投げた。ここは半無重力のような状態で、カップはほとんど落ち
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