夕刻、陽は西へと傾き、濃紺の夕闇が東から空を覆い始めていた。
とある高校では、校庭では野球部とサッカー部の部員がトンボを引き、片づけを始めていた。校舎の灯りも点々と消え始め、同時に帰宅の途につく生徒が続々と玄関から現れた。体育館もキュッキュと窓ふきのように鳴り響いていた床と室内シューズの擦れる音が止み、やがて人の声もしなくなると、照明が落ち、一気に闇に包まれた。
この高校では、原則としてこの時間までに当日の部活を終えることを定めている。そのため、ほぼすべての部活では片づけが完了し、部員たちは岐路へとついていた。教師も例外ではなく、止むを得ない事情がなければこの時間までに終業するように定められていた。部活の顧問をしている教師も例外ではない。
そのため、この時間を過ぎることには、校内の灯りはすべて消え、辺りは静寂に包まれているのが普通だった。
しかし、そんな中、校内の一角、一つ灯りが灯ったままの場所があった。体育館一階の一室、リングが常設してある格技室、ボクシング部の活動拠点だった。
口内で今唯一灯りが灯るこの部屋からは、キュッキュと風呂場のタイルを磨くような音、バシンバシンと布団を叩いたような打撃音が響いていた。
「うげっ……!!」
まるで世界中に散らばった願いを叶える七つの球を集める漫画の戦闘シーンのように、雄二はリングコーナーへと吹き飛ばされた。そして膝から崩れ落ちると、両手をついて四つん這いの体勢で激しく喘いだ。
「どうした、もうノックアウトか?まだ一ラウンド残っているぞ」
そんな彼を見下ろし、抑揚のない淡々とした声で挑発しているのは、雄二の担任にして、ボクシング部顧問のシグリアであった。種族は腰に二対の白翼を生やしたヴァルキリー。勇者となる者に付き添い、教え導く戦乙女である。最も勇者の育成という役割は魔王と主神の争いだとか、冒険だとかそういったファンタジーと無縁なこちらの世界では無用の長物と化している。
二人は実戦形式の練習、スパーリングの最中であった。この手の練習は、ヘッドギアを身に着け、予期せぬ怪我を防止するのが常識であるのだが、ヘッドギアをつけた雄二に対して、頭部に何も身に着けていなかった。しかし、ヘッドギア、ランニングシャツの肌が露出した部分が所々赤くなっている雄二に対し、シグリアの肌は未踏の新雪のように傷一つ無く、二人の実力の差を否応なく物語っていた。
因みにこの練習、遅刻した雄二に対して、シグリアが担任として課したペナルティの一環であり、この二人以外、部室に誰も残っていない理由でもある。
「うぐはっ……まだ……いけます……ぐほっ……」
雄二は震える脚で立ち上がった。ヘッドギア越しとはいえ、ストレートにフックを撃ち込まれた左右の頬がズキズキと熱く脈打っており、ボディーブローが沈み込んだ腹は未だに抉られ続けているかのように重く沈み込む痛みがいつまでも治まらなかった。本音ではこのまま倒れて起き上がらず、自分のKO負けで終わりにしたい雄二だったが、そういうわけにはいかなかった。今日こそは五ラウンド耐えきって強くなったことをシグリアに証明する、そして自らの思いを告白する。そう決めていたのだった。そう、雄二はシグリアに恋をしていたのである。
しかし、実際はうまくいかなかった。プロボクサーを副業とし、数多くの勝利をあげたシグリアの圧倒的強さの前に、四ラウンド目の雄二は立つのがやっとの状態だった。
「ほう、今日は耐えるな」
シグリアは冷淡な表情でトントンと子気味の良いリズムでステップを踏んでいた。それは有り余る体力を持て余している様子だった。スポブラとトランクスの間から覗かせる板チョコのように割れた腹筋、よく熟れたサツマイモのように膨らんだ二の腕、スポブラ越しでも伝わる岩のような凹凸の背筋、その実力は彼女の身体が何よりの主張していた。
「負けるわけには……いかないんだ!!」
雄二は痛みを堪えながらもファイティングポーズを取った。試合続行の意思を示すために。だがその刹那、彼の意思を汲み取ると同時にシグリアは獲物を捕らえる獣のように雄二へと突進し距離を詰めるとその勢いを乗せたストレートを叩きこんだ。更にガードが崩れた顔面へとワンツーのコンボを続けて叩きこんだ。今の彼女に容赦の二文字はなかった。
「お前はコーナーを背にして戦うのが好きなのか?」
「ぐっ……くそっ……」
「シュッ、シュッ!!」
気が付くと雄二はコーナーへと追い込まれていた。シグリアの攻撃をスウェーバッグで躱すことに夢中で自分の立ち位置を失念する雄二の悪い癖だった。シグリアは追い込んだ雄二へとワンツーフックアッパーの連打、ラッシュを叩きこんだ。
「シュッ!シュッシュッ!!ハッ!!」
「(ここから脱出するには……しめ
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