かわらない過去、かわる未来

忌々しいものである。
如何に速く飛ぼうとも、如何に高度を変えようとも、如何に姿形を変えようとも、絶えずぶつかって来る雨風に、ニュウは、その既に険しい顔を更に強ばらせる。
噛み締め直された奥歯から、甘い茶菓子の香りが、鼻孔を通じて漂ってくる。
今少し、今少しばかりと惚けていた、数刻前の己が嫌になる。
遠く雷の音を聞いたあの時、窓の外が暗がりとなったその時、用意された茶菓子が切れたこの時。
己は大人しく帰途に就くべきであった。
そうすれば、こんなずぶ濡れになる事は、きっと、ぎりぎり、巧みに、完璧に避けられた筈である。
そう、きっと、そうに違い無いのだ。
鱗の隙間だけに飽き足らず、皮膚にさえ染み込まんとする、顔面の雨粒を拭い去り、自らを鼓舞する様に鼻を大きく鳴らすと、ニュウは飛ぶ速度を更に加速させる。
背より生える、身体よりも大きな翼をはためかせ、連なる幾つもの山脈を、運河を飛び越えていく。
そうして、何とか自らの“巣”へと着く頃には、雲上に有ったであろう太陽は消え失せ、昨日よりも一足も、二足も早い夜の帳が落ちていた。
といって、遮る物の少ない周囲の平野が、すっかり夜闇に呑み込まれているのとは違い、新たなる“巣”は、普段と変わらぬ、精々少しばかり陰っただけの、明るい光を外壁の外へ漏らしていた。
自然、ニュウの頬が綻ぶ。
やはり良いものだ、自らが所有する地、巣、国へと帰るのは。
この街の元の姿がどうであったかなどは知らぬ。
そも、興味も無い。
経済的に豊かであったのか、死に体であったのかなどは無論の事、立地上の特質や、実際に寝起きする住まいの外観に関しても、奪い取ったその時まで、知りもせなんだ。
なれば、この街を陥落させた理由は何なのかと問われれば、それは単に、見栄と言える。
ただ、多くの同胞たちが、自らの新たなる“巣”、新たなる住処、手に入れた夫の事を、細やかに、それとなく、しっかりと自慢するのが、あまりに癪だったが故に、手近なる、目に付いたこの街を落としたに過ぎぬのだ。
何が絶景か、何が旨い食事か、何が良き夫婦生活か、クソめが。
そんなモノたちなど、ほんの少しばかり本気となれば、こうして手に入るではないか。
偉そうに語りおってからに。
だがしかし、こうして幾許の時を過ごしてみると、彼女たちの言い分に嘘偽りが無かった事が分かる。
特に、こうして出掛けより帰って来た時などは、彼女たちが熱っぽく語っていた言葉の一つ一つに頷ける想いである。
朝も無く、夜も無く、好きな時に、好きな者たちが働き、営み、動かされていく、我が退廃の街。
其処に建つ建物が、灯る明かりが、暮らす人々が、愛おしく感じられた。
顔にぺっとりとくっつく前髪を掻き上げ、今一度眼下に広がる、愛する所有物を眺めていると、ふと、ニュウの目を引くものがあった。
それは、降りしきる雨の中を伸びる、人や馬車の大群であった。
闇夜の迫る平原にまではみ出したそれは、一体の大蛇が身体をうねらせる様に、ぬるぬると動いては止まるを繰り返しながら、連なる先の外門へと向けて進んでいく。
何をしているのだ、こんな雨の中で……。
ニュウはほんの少し思案した後、外門近くへと降り立った。
門前に掛かる、手摺りと呼べそうな残骸も少なく、所々などは抜け落ちてしまっている石橋の上には、雨に濡れきった人馬と、それが担ぐ荷物の群れがごった返していた。
彼らの表情は、皆一様に暗い。
押しの強さや元気の良さこそが物を言う商い人が、これではまるで務まらぬであろう事が、少々世間知らずのニュウにすら分かる程に。
荒天より降り立つマレフドラゴンに、挨拶は勿論、もはや見向きすらしない、そんな彼らを暫し呆然と見渡していると、ニュウはすぐにその原因が理解出来た。
「行って良いですよ」
最前に停まる馬車の荷台より降り、門横に設置された金具を操作して、外門をほんの少しばかり開けた少年が、片手で小さな合図を送る。
深いため息と共に、馬車三台を引き連れた一つの商隊が、のろのろと街の中へと入っていく。
検査を終えた商人たち全てが入りきると、少年はまた門を閉じ、進んできた新たな商人、馬車の荷物検査を、慣れた様子でまた始めるのだった。
商人の精気を吸い出しているのは、此奴である。
吹き荒ぶ雨風も無論であるが、それに構いもせず、覆い布を剥ぎ取り、閉じられた封を開け、その中身を調べ上げていく、この者の生真面目さ、丹念さ、愚直さこそが、訪問者たちの活気を奪っているのだ。
同じく雨に濡れ、虫の居所を悪くしていたニュウに、自制の気持ちなど微塵も浮かびはしなかった。
如何に大事な手順であろうが、如何に精錬された順序であろうが、斯くも来訪者を無碍にする事が正しい筈は無い。
況して、それが街を更に活性させるやも知れぬ商人たちとあれば、尚の事である。
ぐっしょりと濡
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