忘れられない夜

「……ねぇ、セオ君」
「はい……」

二杯目のグラスを空にする頃には、甘く心地良い酩酊感はさらに深みを増していた。名前を呼ばれるだけで、心が彼女に染め上げられていくかのよう。しなやかな指先が肌を撫でるたび、恍惚の吐息が漏れる。触れ合う温もりに、融けてしまいそう。

「君に、聴いて欲しい曲があるんだ」
「私に……ですか?」
「ふふふ……そう、君のために演奏させて欲しい」
「私のためだなんて、そんな……嬉しい、です」

彼女が取り出したのは、ハートの意匠が施された笛。バッカスの加護を受けたその笛の音もまた、心地良い陶酔をもたらしてくれるとされる。酒と笛の音に酔わせ、交わりに誘い込むのが彼女達の常套手段。それを知っていてなお、むしろ知っているからこそ、期待を寄せずにはいられない。更なる陶酔を、更なる心地良さを。そして最後にはきっと、私を抱いて、口づけを交わして、優しく愛してくれるのだと。

「ふふ……それでは」
「……はい」

先端を咥える唇、絡みつくように添えられた指。笛を構える彼女の佇まいは、凛としながらも何処か淫靡だった。

奏でられる笛の音色は、ふわりと包み込まれるように優しく。しかし、その旋律は情熱的。流れるように音階は移りゆき、そして時折、甘く揺らいで私を撫でる。
身にも心にも響き渡るその演奏は、さながら、彼女の腕に抱かれ、愛を囁かれるかのように心地良く。その抗いがたいまでの甘美さに、酔いしれずにはいられない。

「……」

そして、これ程までに私を酔わせてくれる彼女が愛おしくて仕方なく……私は自ら身を寄せ、彼女の肩に頭を預けていた。私にとっては、あまりにも大胆な触れ合い。しかし、そうしたくて仕方がなかった。身体ごと委ねるようにしな垂れかかり、さらさらとした毛並みに覆われた太ももに、手を置く。彼女は、演奏を続けながらそれを受け入れてくれる。甘い髪の香りを胸いっぱいに吸い込み、太ももをそっと撫でる。指先を、毛並みが滑らかに流れていく。その奥には女体の柔らかさと温もり。気持ちいい。目を閉じ、愛の音に聴き惚れながら、彼女に溺れていく。





「……愉しんで貰えたかな?」
「はい……とても素敵で、気持ちよくて……聴き惚れて、しまいました……
こんなのは、初めてで……」
「ふふ……気持ちいい、だなんて。悦んでくれて何よりだよ」

名残惜しくも、演奏が終わる。残響が余韻となって頭の中に甘く響き渡ったまま。熱に浮かされたような、いい気分。身体も火照って、彼女と触れ合えば心地良さに融けあってしまいそう。
酒に、音楽に、そして彼女に酔い痴れる、その悦び。この素晴らしさを、知ってしまった。教え込まれてしまった。もっと、もっと、教えて欲しい。そう思わずにはいられない。こんなつもりで食事の誘いに乗ったわけではなかったのに。すっかりと、その気にさせられてしまった。彼女は、なんといけない人なのだろうか。

「さて……そろそろデザートはいかがかな……?」
「それも、魔界葡萄ですか……?」

そうして彼女が摘み上げるのは、魔界葡萄の一房。書物で見たものとは品種が違うらしく、その見た目は酒造用の葡萄に似ていた。小ぶりの果実に、少しつつけば破れてしまいそうな極薄の皮。その中には、赤い果汁が湛えられていた。

「いかにも。ふふ……これにも食べ方があってね」
「ぁっ……」

顎に添えられた指。くい、と顔を上向かせられて。胸の中をぎゅっと掴まれてしまったかのような心地。どきりとしてしまう。

「ほら、顔を上げて……あーん……」

そして彼女は、摘み上げた魔界葡萄の房を、私の口元へと垂らしてきて。魔界葡萄は、下側の実ほど魔力が濃縮されて美味とされる。彼女が私の口に運び込もうとしてくれているのは、その一番美味しい部分だった。

「あーん…………ん……あぁ、こんなに、甘いなんて……」

彼女にしなだれかかったまま、垂らされた房を下からぱくりと一口。
極薄の皮がぷつりと小気味よく弾け、その中から溢れ出る果汁はとびきりの甘口。瑞々しくも濃厚かつ芳醇で、甘美さが喉に灼けついてしまう。まさに極上の一口だった。
そして、果実を味わうその最中も、彼女の眼差しは私に注がれていて。
まるで絵画の中の世界のように、退廃的で享楽的な体験。これもまた、私の知らない悦びだった。

「さ、僕もいただこうかな。ん……美味しいね、セオ君……」

そして彼女は、残りの果実を摘み上げると、一口でぺろりと平らげてしまう。
そんな遊び人の所作を以って、当然のように、一番美味しい部分を私に譲ってのける。紳士的で享楽的。そんな彼女の魅力に、ますます酔ってしまう。

「……まるで、夢みたいです。いえ……夢にも、思いませんでした……こんな……」

悦びと、ときめきに満ちたひと時。心を満たされながらも、甘く掻き
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