愛しい妻と、穏やかな牧場生活

 差し込む朝日の眩しさに、バイコーンのコジールは自分のベッドともいえる、藁を敷きつめた自分の部屋の中で目を覚ました。
 明け方の寒い空気を感じつつ、眠気眼を擦りながら、何も身に付けていない人間の体を起こしながら背伸びをして、体に纏わりつく睡魔を追いやる。今度は立ち上って馬の体に付いた藁の欠片を身を震わせて落としてやる。
 そうして彼女は、ふわわと大欠伸をしながら、着替えをするために部屋を出ようとして、その直ぐ目の前に彼女の愛しい旦那様――ロンメートの顔が目に入った。
 どうやら彼は彼女を起こしに、彼女の部屋に入ろうとしていたようだ。

「随分と大きい欠伸だね、コジール」
「はわッ!だ、旦那様。いえ、その、違うのです」
「そんなに慌てて弁解なくても。日頃滅多に見れない物を見れて、此方としては得した気分なんだから」
「そんな、お恥ずかしい所を……」

 愛しい旦那様に自分の失態を見せたためか、それともそんな失態を見たとしても、相変わらずに優しい笑みを浮かべる旦那様に惚れ直したからか、コジールの透き通る程に白く滑らかな肌に赤色が差している。

「ほら、今日は約束していた日でしょ。朝から無駄に出来ないよ?」
「……もう、旦那様ったら」

 そんな風にコジールを囃しながら手を差し出すロンメートは、コジールの失態を無かったものにしたいというようにも感じ取れるし、コジールが失態と思っている事など失態ではないと言いたげなようにも感じられてしまう。
 それはコジールも感じ取った様で、ロンメートの優しさに少し救われた気分を抱きながら、彼の手を取って歩き出した。



 二人は野菜スープと作り置きのパンで軽く朝食を取った後、コジールは今日の為に用意していたものを取り出すために建物に残り、ロンメートは牧場にある巨木の脇に設えたロッキングチェアに座り、木漏れ日を身に受けつつぼんやりと景色を楽しみながら、彼女の準備が出来るまで待つ事にしたようだ。

「旦那様〜」

 そこへブンブンと大手を振り、パカパカと蹄の音を響かせて近寄って来るコジール。
 振っているのとは反対の手には、ワインと二つのグラス。黒い馬体の背に括りつけた、鞍のような荷を置く場所の上には、切ったチーズやビスケットにドライフルーツの乗った大皿。
 
「待っていたよ」

 コジールの姿を確認したロンメートは、そっと椅子から立ち上ると、木に立てかけてある板のような物を手に取り、テキパキと組み立てていく。すると程なくして木の板だと思われていたそれは、折りたたみ式の木の机に早変わり。
 その机の上にまずコジールは、手にある瓶詰めワインとグラスを置き、続いて後ろに手を回して大皿を掴み、一度何が入っているのかをロンメートに見せてから、机の中央にそっと置いた。

「今日は随分と美味しそうな品揃えだね」
「今日の日のために、いろいろと準備してきましたもの」

 大皿を見て思わずといった感じで、そう感想を漏らしたロンメートに、コジールは自分の努力を誇る様に、豊満な胸を張って答えるコジール。
 そして二人どちらともなく笑い合うと、示し合わせた様にロンメートはグラスに手を伸ばし、コジールはワインのコルクを抜きにかかる。

「昨日ゴブリン商隊から買い付けました、魔界の空気で爛れたブドウで作られる、淫腐ワインですわ」
「貴腐ワインは聞いたことあるけど、淫腐とは……」

 グラスに注がれた耳馴れない名称の、血のように赤黒いワインに、少しだけ訝しげな視線を向けるロンメート。
 しかしそのワインから立ち上るワインとは思えないほどに、甘く蕩ける様な匂いに誘われて、彼はコジールとグラスを合わせた後に、グラスに口を付けワインを一口だけ含んで味わう。
 そしてロンメートは、少し驚いたような表情を浮かべながら、ゆっくりとそれを味わいながら飲み下していく。
 恐らく彼は今、淫腐ワインの特徴を余すことなく、体全体で味わっていることだろう。
 それは魔界の水に似た薄甘さと、ブドウの渋みを味覚として。鼻から抜けるアルコールの中に混ざる、樽の木から移った香辛料の様な香りと、魔物娘が発する淫臭に似た匂いを嗅覚として。そしてそのワインに含まれる多分の魔力が、含んでいた口内、味を確かめていた舌、匂いを感じていた鼻、飲み込んで通る食道、そして辿り着く胃の内壁から、アルコールと共に体内へと侵入されるのを触覚として感じる。
 そんな風に味わうのが、人間の女をレッサーサキュバスに、男をインキュバスへと変える効果を持つ、魔界産の高級酒である淫腐ワイン。

「なんか、これぞ魔界の品といった感じだね」
「旦那様のお気に召していただけましたようで、安心しましたわ。そうそう、虜の果実のドライフルーツに、そのワイン良く合いますの。ささ、どうぞお試しになって下さい」

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