いま俺は生まれ故郷の街から途轍もなくかけ離れたとある場所に向かっている最中。
(くそッ、何だって俺がこんな目に遭わなければならないんだ。)
しかしその寄り合い馬車にごとごとと揺られながら、俺はそう悪態を心の中で吐いてしまう。
街でそれなりの職に付きそれなりに幸せを謳歌していたはずの俺が、なぜこんな狭苦しい馬車にいるかといえば、発端は一人の少女を助けたこと――といっても、勇者のように魔物に捕らえられた人を助けたわけではなく、ただ街中で躓いた少女が地面に顔から滑り込まないように手を差し出しただけだった。
助け起こした俺に『ありがとう、お兄ちゃん!』と告げて立ち去ったあの少女。ごくごく有り触れた日常であり、記憶の中に埋没してしまうほどの良く見るような光景――記憶力が良いと自負している俺ですら、今ではもう少女の着ていた服だけでなく、顔すら思い出すことの出来ない程の、街ですれ違ったと言って差し支えないあの場面。
そう少女だ。その少女こそが問題――もしも過去の俺自身に俺の言葉が届くのならば、あの時のあの少女を助けようと思うなと忠告したいほどに、あの少女は特大に厄介な人物だった。
そうさ、あの少女のこと等忘れ去ったある日に、俺は街中で教団の騎士とやらに声を掛けられた『こんな少女を知りませんか』と。
そこで俺は迂闊にも自分の記憶力をひけらかす様に彼ら――否、奴らに正直に喋ったってしまったのだ、『ああ、そんな少女を見たことがある』などと。
俺のその言葉を聴いたその騎士は、表情が洗い流されたかのように失われ、初対面の俺を見る目には親の敵に出会ったような冷たい光。
そして腰に刺さっている剣にその騎士が手を伸ばしたとき、俺は迷わず――それこそ弁明しよう等と思う暇もなく――逃げた。確実にあの騎士が俺を切り捨てる気だと気配で分かったからだ。
大通りから抜け出し、裏路地を駆け抜け、自分の家へと滑り込むと、何かに突き動かされるように旅行鞄に必要最低限の衣服と逃亡先で換金できるような品を入れ、体には旅衣装を身に纏い、余りなかった蓄えを全て懐に入れて家を飛び出た。
裏路地を再度駆け巡り、幾度となく角を曲がり、あの騎士と出会った場所から一番遠い所にある城門付近にあった丁度走り出そうとする寄り合い馬車に乗り込み、俺は俺の生まれ故郷の街から命からがら逃げ出すことに成功した。
そして俺はその馬車の中で寄り合った人たちに愛想笑いをしながら、他愛無い世間話の延長で聞いたのだ――あの少女が王の側近を誑かした魔女であると。さらには篭絡されかかったその側近が怒り心頭であり、その魔女と関わりのあった者たちを全員処刑するように騎士に命じたらしいという噂も聞け、そこで俺はようやく主神派の国――否、反魔物領域にある国には居場所が無い事を知り、俺は路銀を切り詰めながら、必死に親魔物領へと向かい続けた。
幾度となく訪れた場所で教団の連中に追い回され、隠れ進んだ裏街道で魔物に襲われかけ、そして俺はようやく親魔物領へと向けて出ると云われている船が発着している漁村の情報を手に入れ、そこに向かう馬車に乗ることが出来たのだった。
そんな風に苦労を馬車の中で思い出しているうちに、程なくして馬車が漁村へ付いた。
馬車に降り立った俺が一番最初に感じたことは、むせ返る程の潮と魚の香りと突き刺すほどの陽の光。次に寂れきった村の風景とその中で男たちが漁の成果を網焼きにしている音だった。
周りにある建物は街にあるような石造りの建物は少なく、大多数が木と石を組み合わせたような街では見かけない不思議な家が立ち並んでいる。
(本当に此処から船が出るのか?)
そう俺がいぶかしんでしまうのも仕方がないほどに、この場所は何の変哲のなさそうな漁村だった。
とりあえず目的を果たすために、俺は情報にあった場所――ただ屋根があるだけの作業小屋へと足を運び、そこに座っていた老人に決まった文句を言って反応を待った。
「船は明日だ」
「待ってくれ、俺は直ぐにでも」
「船は明日だ」
決まられた言葉を繰り返しているのか、それともよそ者の俺に対して警戒しているのか、老人はそれ以外に言葉を発することはなく、俺は強制的にこの漁村で一泊することになった。
だがこの小さな漁村に宿屋なんていう立派な場所があるわけもなく、俺は何人かの村人に話しかけて、ようやく誰も住んでいない一軒のあばら家を紹介してもらい、そこに一泊できることになった。
さて泊まれる場所が決まれば次は腹ごしらえとばかりに、村中をうろうろと歩いていると良い匂いを発するある建物が目に入った。
その中を見てみると、数人の男が焼いた小さい魚を食べ木杯に入った何かを飲んでいる。どうやらここは食堂のようだった。
昼食には遅く夕食には早いこの時間。腹の虫と相談をして、俺はこの店に入る事に
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