大社の稲荷との掟




 今年も射狩神事が行われ、大社の大広間には頭を垂れた多数の人間が跪き、そして熊や猪を初めとした様々な供物が、御神――この社にお住まいになられる豊穣を司る稲荷神へと捧げられていた。
 件の御神は一段高い社の中から、捧げられた全ての供物を見下げていた。
 御神は金と栗色との間の色の御髪を生やし、神官服と巫女服を混ぜたような奇妙な服に包まれた御身は未だ幼子のように小さいものの、立派にお生やしになられた三本の尾を高々と誇示していた。
 しかしながら、大きくつぶらなその目に浮かぶのは落胆の色。
 捧げられた供物は一級品もあれど、熊は洗われていたものの犬の唾液の匂いが染み付き、猪の足には巧妙に隠された罠の跡。
 すなわち、れっきとした掟破り。
 したり顔でこれらを捧げた馬鹿どもは、ばれはしまいと高をくくっているようだが、それを見抜けないような稲荷ではない。
 それに掟を守っている物もあるにはあるが、素人狩で捕まえた小動物はどれも何本もの矢で命が尽きるまで射掛けられ、ボロ布の様な有様。
 さらに言い募るのならば、これらの供物を捧げる者達にも問題がある。
 神の御前ということで身を清め身なりを整えてはいるが、その口から出てくる吐息に混じるのは狐の嫌う煙管の匂い。
 そんな者達が十数人も境内にいれば、鼻の良い稲荷には苦痛でしかなく、思わず香の匂いを移した扇子で顔を覆う。
「では今年の供物はそれにしよう」
 さっさとこんな場所からは立ち去りたいという思いを隠しながら、稲荷は一つの獲物を選ぶ。それは巨大な熊でも肥え太った猪でもなく、供物の中でまだ見れる程度のボロ雑巾と化した一羽の痩せた雉だった。
「ご苦労であった。残りは皆で食すが良い」
 そう告げた稲荷は早々と皆に背を向けると、そのまま社の奥へと引っ込んでいってしまう。
 しかして稲荷が社の奥へと消えた後、人々は神に捧げられていた物を御下がりとして、集落で分け与えて食べるのがここでの風習であった。




 人々が境内から消えた後、稲荷神は薄らと煙管の匂いが染み付いてしまった身に纏っている服を脱ぎ捨てると、まっさらな着物へと着替えてあの嫌な匂いを忘れようと香木を焚き始めた。
 そして稲荷は苛々とした気分であのぼろ布化した雉を掴むと、それを空中へと投げてしまう。
 しかし雉は床板に落ちる前に、顔に一枚の紙で面をし中性的な面持ちの黒い女性物の着物を身に着けた人形(ひとかた)――陰陽術で言うところの稲荷に生み出された『式』によって受け止められた。
「とりあえずそれで鍋でも作れ」
 ぞんざいに告げた稲荷に静々に深々と頭を下げた人形は、それを持って主人の命令を執行するために土間へと向かい調理を始めた。
 しかし土間から味噌で野菜と一緒に煮込まれた雉の良い匂いがしても、稲荷の心のうちは晴れることはない。
 そもそもこの稲荷にしてみれば、毎年のように人が掟を破った供物を捧げるのだから、約定通りにこの近辺の集落に掛けた豊穣の加護を打ち切ってやる筋を、先代の稲荷の意向で苦々しく思いながらもそれを曲げて大人しく供物を受け入れ、嫌々ながらに豊穣の加護を続けて来たのだ。
 次の年こそは、その次の年こそはと期待してみたものの、集落の者達の態度は改善される様子は無く、今年が駄目ならばもう厳しい態度で接すると決意した今日も、この稲荷を無知な存在であると蔑み笑うかのように掟を破ってきた。
 もうこうなれば約定など知ったことではないと、稲荷にはもう人々を加護してやる気はなくなっていた。
「そもそもこの神事の元は、働き手である男(おのこ)を稲荷に連れて行かれては困窮するからと泣いて縋るので、先代が憐れに思って始まったものだぞ。それをやつらは……」
 思わずギリギリと歯を噛み締めた音が、稲荷の小さい唇の奥から漏れてしまう。
 そんな様子を見た稲荷の人形は雉鍋を怖々と鍋を持ちながら、稲荷の居る囲炉裏に持っていこうかどうしようかと狼狽している。
「邪魔するよ」
 しかしそんな稲荷の様子などお構いなしに、唐突に一人の人間がこの場所へ窓から上がりこんできた。
「なんぞ様か小汚い猿(ましら)よ」
 稲荷がその人間にその様に言葉を掛けるのは無理もない。
 齢が十二・三の幼い顔つきをした背もあまり高くない一人の童は、顔と手足に加えて衣服にすら泥をつけ、体からは汗と土の匂いが立ち上らせながら、窓枠に足を掛けて座っている。
 そんな童を思わず猿と称してしまうのは、人間が嫌いになりつつある稲荷でなくても無理が無いことだった。
「爺ちゃが、神さんが不味い飯貰ってヘソ曲げてるだろうから、山で鳥でも狩って持ってけって」
 ほらっと童が腰に下げた物を稲荷に見せると、そこには石で仕留めたのか、矢傷のない美しく立派に肥え太った雉が二羽あった。
 たしかに今日稲
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