第二章 リャナンシーの苦悩


 部屋の片隅に置かれた小さなベッドの更に隅っこに、アーリィは膝を抱えて蹲っていた。
 そして何であんなことをアルフェリドに言ってしまったのだろうと、今日あったことを思い出しながら後悔していた。
 そもそもリャナンシーのアーリィは、この学校に技術の向上のために入学したわけではない。
 アーリィにとってこの学校にいる理由は、将来の夫を探すためだった。
 しかしこの学校に所属して数年、一粒の砂金のような才能の煌きを持った作品は沢山あったが、その全てがアーリィが惚れこむにはあまりにも力不足の出来であった。
 あと二回の品評で卒業しなければならないアーリィは、この学校に入学したのは間違いだったかと思い始めた。
 だがまさにその時、彼女はあの向日葵の絵に出合った。
 今まで見た事の無い技法で描かれたその作品のすばらしさと手で触れた味わいに、一瞬にして虜にされたアーリィは教師人に詰め寄ってこの作者の居場所を無理やり吐かせ、教えてもらった寮の部屋まで文字通りに飛んでいったのだ。
 その部屋に辿り着くまで、アーリィの心は踊りに躍っていた。
 漸く見つけた自分を虜にする絵の作者とはどういう人なのかと思いを馳せ。絵の題材に選んだのが自分と同じ向日葵という共通点に、これはもう自分の運命の人なのではないかと確信に似た気持ちを抱いた。
 あふれ出る期待感に胸を焦がしつつ、あの作品の作者のドアを叩く。
 ドアを一回叩くたびに、アーリィの鼓動は一層早鐘を打つ。
「はーい、いま開けます」
 アーリィの耳に入った思い人が発したと思われる少年の心を忘れていないような優しげな声に、自分が抱いた思いは間違いないと確信するアーリィ。
 ドアノブが捻られる音と共に開いたドアから一人の青年が出てきた。
 画家特有の線の細さを感じさせる体つきに、生まれ出でたばかりの様な溌剌とした絵画の才能の輝きを放つ顔。その手からだけではなく身体から立ち上る匂いにも、身体の中に絵の具が流れているのではないかと思わせるほどに絵の具油の匂いが混ざっていた。
 そんな名前も知らない彼を見たアーリィは、もうすでに彼の絵だけではなく彼の存在そのものにぞっこんだった。
「あ、あの、貴方の作品見ました!」
 たまらずそう口に出したアーリィは瞳に恋の炎を灯らせて、続けざまにこう言った。
「貴方の絵に惚れました。あたしを妻にしてください!」
 行き成りそんなことを言われた彼は困ってしまったのだろう、苦笑に似た表情をしていた。
 ああそんな表情も素敵とうっとりとしていたアーリィの耳に、聞きたくない『アルフェリド・ダーキン』という名前が彼の口から出てきて、天にも昇る気分を邪魔された。
 アーリィは『アルフェリド・ダーキン』の事を良くは知らなかったが、品評会でチラリとだけ見る彼の絵には、何時も自分の絵に良く似た構図と同じモチーフの絵が描かれていたのだけは知っていた。
 いつ自分の絵を盗み見たのか知らないが、盗作紛いのその手法にアーリィは作者である『アルフェリド・ダーキン』を嫌悪していた。
 そしてつい口に出して言ってしまったのだ。『あたしの真似ばっかりする、腕無しの盗作者』と。
 アーリィの目の前にいるその人が、その『アルフェリド・ダーキン』だとは知らずに。
 アーリィのその口から出た言葉を聴いたアルフェリドの態度は劇的に変化した。
 多少は好意的だった目と表情が、マンティスが入れ替わったのではないかと思うほどの冷徹で無表情になり、そしてアーリィに対して興味を失った彼の瞳の奥には殺意があった。
 その豹変ぶりにアーリィは何が自分の落ち度だか分からずに、抱いた恋心に突き動かされるかのように閉じられてしまったドアを無遠慮に叩いた。
 そしてそのドアが怒り任せに開かれたとき、アーリィを見下げる彼の目にはもはや殺意しかなかった。
 視線に射すくめられたアーリィに、彼が告げたのだ『俺がお前が嫌いなアルフェリド・ダーキン』だと。
 その言葉と事実に愕然としたアーリィに更に追い討ちをかけるように彼は付け加えた。『俺もお前のことが大嫌いだ』と。
 そうしてアーリィはやっと自覚したのだ、アルフェリドに『好きだ』と言ったその口で、同じ人に向かって『盗作者』と罵ったことを。
(違う、そういうつもりじゃ……)
 そう口に出そうとして、ドア越しに感じるアルフェリドの殺意にアーリィは思わず口を噤んでしまい、そのまますごすごと部屋に帰ってきてしまったのだ。
 もし人間がこんな状況に陥ったならば、次の恋に生きればいいと頭を切り替えられるだろうが、しかしリャナンシーであるアーリィにとってはそうはいかない。
 リャナンシーが作品に惚れ込むと言うことは、その作品の作者をリャナンシーの本能が生涯の伴侶に選んだということだ。
 そうなればもうその人以外の
[3]次へ
ページ移動[1 2 3 4 5 6 7]
[7]TOP [9]目次
[0]投票 [*]感想[#]メール登録
まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33