見廻り同心である兜持忠敬(かぶともち ただたか)は、今日上司に言われた事を反芻していた。
『最近古い道具が妖怪化する事案が発生しているとの事。ついては無用の混乱を避けるため、古い道具を一新する事となった。各々も古い道具を処分して欲しい』
その上司の言葉に昨今倹約が叫ばれている中で豪気なことだと一応は頭を下げて返礼はしたものの、兜持は古い道具――懐中提灯を収めていた懐へ知らず知らずのうちに手を伸ばしていた。
この懐中提灯には思い入れがあった。
同心となって初めての給金で一目惚れして買い求めた品だったのだ。以来十年間肌身離さず持ち歩き、苦楽を共にした相棒とも呼べる品だったのだ。
(しかし上役殿の仰せには従わなければならぬ)
手放すのは惜しいが見回り同心というお役目上、隠し持っていていざ盗賊との戦いという中で提灯が妖怪変化し現場を混乱させれば、切腹すらありうる状況では致し方のないことだった。
せめて今宵はこの懐中提灯を弔ってやろうと思い立ち、弔いに必要な品――といっても酒とそのあてだが――を求めてまず酒屋へと足を踏み入れた。
「いらっしゃい。おや旦那」
「久しいな」
手に持った大徳利に酒を入れてくれるよう頼む。何時もは安酒で済ます兜持だが、今日ばかりは上方流れの上物をつめてもらった。
「何かのお祝いで?」
「むしろ悪い事だ。上物の酒でももらわねばやり切れぬ」
冗談交じりでそう答えつつ礼を言って立ち去ろうとした兜持の目の端に、酒屋に似つかわしくないものが目に入った。
「おい、なぜ絵蝋燭を売っておるのだ?」
「い、いや別に怪しいものじゃ御座いませんよ」
ついつい役目柄で詰問口調になってしまった兜持に、慌てたように弁解をする番頭。
番頭が言うには財布を忘れた酒好きの蝋燭売りが、安酒の代金代わりに置いていったそうだ。
詐欺ではないかといぶかしむ兜持に、番頭は顔見知りなのでそれはないと答えた。
「それにしても、見事な絵付けだな……幾らだ」
蝋燭の白い下地に名も知らぬ綺麗な薄紫色の花弁の付いた一輪の花の絵が描かれていた。
この際、提灯の弔いに灯す蝋燭も新しい方がいいだろうと思い立ち、兜持はこの蝋燭を買う事を決意した。
「一匁(もんめ)です」
「安いな。この見事さならば、一朱(しゅ)してもいいぐらいだろう」
一匁というのは掛け蕎麦を五杯食べられる程度の代金であり、一朱というのはその三・四倍の値段の事である。
「かと言って高値で酒屋に置いておいても腐らせるだけ。それに酒の代金以上には貰おうとは思えませんので」
「そうか、では貰おう」
「これはどうも有難う御座います。今後もご贔屓に」
兜持は匁銀貨を一枚手渡して蝋燭を受け取ると店を後にし、道端で酒のあてになりそうな乾き物や佃煮などを買ってから家に帰った。
兜持が住んでいるのは同心長屋の一室。兜持は刀の腕を見込まれて同心となった兜持家の三男であるゆえに、この家には口煩い母親はいない。
さらには愛しい奥方や懸想する恋人もおらず、かと言って女中を雇うほど給金に余裕のない兜持は一人でこの家に暮らしていた。
お陰で侍ながらに料理の腕は上がり、懐具合の厳しい給料前には同心仲間が食料をもちより、兜持が手料理を振舞ったりしていた事から、奥方要らずだなどと言われている。
それはさておき、寝巻きに着替え終わった兜持は一通りの肴を膳の上に用意して部屋へ置くと、懐から懐中提灯と絵蝋燭を取り出した。
蝋燭に行灯からの火を移しそれを提灯の中へ入れ、縮んでいた提灯を蛇腹を引き伸ばすと、提灯の薄茶けた和紙に描かれた色あせた菫の花があわられた。
その提灯を膳の向かい側に置き、行灯の火を息を吹きかけて消すと、部屋の中には提灯の明かりだけになる。
すると日ごろでは味わえない寂の趣きがあった。
「まずは一献」
膳の自分の方にはぐい飲みを提灯の方には小さなお猪口を置き、その二つに上質の酒を並々と注ぐ。
兜持はぐい飲みを握ると、それを提灯に向かって掲げた後に全て飲み干した。
「しかしお前とはずいぶん長く一緒にいたな」
飲み干した杯に酒を入れつつ、甘辛い貝の佃煮に箸を伸ばしながらそう溢す様に口に出した兜持。
「余り使っておらなかったとはいえ、十年も持つとはな」
提灯の寿命は他の道具に比べてはるかに短い。
大店の提灯は広告の意味合いもあり絶えず新しいものへと入れ替えられ、祭り提灯は祭りの間だけの命。普通の提灯でさえ乱暴に扱えば、紙に蝋燭の火が当たりあっという間に燃え尽きてしまう。
携帯性を重視し耐久性を二の次にした懐中提灯など言わずもがなである。
「初めての月番休みの時につい遠出をしに行き、その夜道でお前を使ったな。あの時は真っ白な紙に青々とした菫が美しかった」
あまり飲み慣れない高級な酒に
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