魔王が代替わりしてしばらくは、随分と腹を空かせた魔物が多かった。それは何も人間達の努力によるものではなく、単純に魔物達が新しい自分の武器を知らなかったからに過ぎない。力任せに壁門を叩くのみだった彼女らが少し科を作ってやるだけで門番を籠絡できることに気付いてからは、魔界領は各地であっという間に増えだした。真っ先に犠牲となったのは情報も兵力も無い小さな村々である。そこで力を蓄え徒党を組んだ魔物達は中程度の都市に狙いをつけ、それらを難なく陥落させた。街を守るのは、異形を追い払うことはあっても人を斬ったことなどない兵士達である。妖しく微笑みながら近づいてくる女達に対して発した警告の声は悲鳴に変わり、最後には情けない喘ぎ声となった。
ここアレンスブルクにおいてもそれは例外ではなく、門番が一人目の魔物の侵入を許して僅か数分で街全体を悲劇──もとい喜劇が襲っている。裏路地から、ベランダから、そこかしこから水音と嬌声が漏れ聞こえてくる。もはや衆人環視の中で犯される男さえいた。人々は逃げ惑い、街の出口に殺到した。街の未婚男性のほとんどが逃げる間もなく捕まってしまい、逃げおおせた多くは女性であった。
街の外、息の上がった住民達の中で一人、10歳になるかならないかの栗毛の少年がいた。ちょうど独りで昼飯の買い物に出ていた彼は、親切な肉屋のおかみに半ば抱えられるようにしてここへたどり着いたのである。両親は役場で同僚として共働きをしているが、その二人が妖気に当てられて今この瞬間弟を作りそうになっていることを彼はまだ知らない。自分を運んでくれた大柄な女性に礼を言おうとしたその瞬間、人だかりの中で悲鳴が上がった。声の方を見やれば一人の男性が魔物にのしかかられている。人混みに紛れて男を探していたのだろうか。だが少年が事態を確認する間もなく人の波が押し寄せてきた。肉屋のでっぷりとした腕が少年を抱き寄せようと伸びてきたが、恐怖に飲まれた群衆がそれを弾いてしまう。
「坊や、にげ──」
彼女の声は人々の悲鳴に飲まれてしまった。それと同時に少年の小さな躰はぐいぐいと人の濁流に押し流されていく。足を止めれば転んで踏みつけられ、ぼろ雑巾のようになってしまうだろう。少年は必死で走った。何処へ向かっているのかもわからずにがむしゃらに足を動かした。
大勢いた人々は方々に散り、門の前には二人の魔物と一組のつがいが残るのみになった。
豚の魔物と狼の魔物、まぐわっているのは筋骨隆々の牛の魔物である。
「いいなーミノちゃん。もうちょいであたしも捕まえられたのに…ニンゲンの服着て紛れ込むアイデア出したのもあたしだしぃ…」
「街にっ、戻ればっ、誰かっ、いるだろがっ、あっ!?おいもう出したのかよっ!情けねえやつだなぁ!ほれ、まだ出るだろ!?おら出せよっおらおらっ」
「ていうかなんかかわいい子いたじゃん、あの子狙えばよかったのに」
「あたし、ウルフちゃんと違ってショタコンじゃないもーん」
「わ、わたしもショタコンじゃないしっ」
やがて二人の魔物もすごすごと街に引き返し、後に残ったのは暴力的に腰を振り続けるミノタウロスと、情けない悲鳴を上げ続ける幸せ者だけになった。
無我夢中で走り続けた少年がたどり着いたのは森の中であった。先の一件で女性に対して疑心暗鬼になってしまい、周りの女性から逃げるように走っていたせいで独りになってしまったのだ。体力も底を突き、膝に手を突いて息を整える。数分して頭を上げた彼は、自分がどこにいるのかさっぱりわからないことに気付いた。後ろを振り向けば似たような木々がたくさん立ち並んでいる。もう一度前を向くと、前後が良くわからなくなってしまった。パニックで再び慌て始める心臓を落ち着かせながら、元来た道を探す。少し地面を眺めていると、自分のものらしい足跡が見つかった。彼は安堵した。これをたどれば街に帰れる筈だ。その先にある街がどうなっているのかはあまり考えないようにした。それでも自分たちを守るはずだった兵士があげた悲鳴が嫌でも蘇る。彼らはどうなったんだろうか。みんな襲いかかられて、顔にかみつかれている人もいた。学校で教わるとおり食べられてしまうんだろう。痛くて苦しいんだろうな。少年は暗い顔で次の足跡を探す。胃袋を冷たい手で鷲掴みにされたような気分だ。何も考えないように、足跡探しに集中する。森の中は日光が遮られて薄暗い。足跡探しはそれなりの集中力を要した。見つけた、次。見つけた、次。足下を見るのに夢中になっていた彼は、目の前にぶら下がる物体に気がつかなかった。
不意に、頭が柔らかい何かにぶつかった。
「うわっ…」
急にのけぞったせいで体のバランスをうしない、少年は尻餅をついてしまう。なんだか変な感じがして頭に手をやると、ぬるりとした感覚が伝わった。まさか血だろ
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