牛丼はデートに入りません

 その日の飲み会は大荒れだった。医学生の宅飲みなど荒れるのが相場と決まってはいるが、試験明けの開放感と追試への不安は酒を呷るペースをいつになく激しくさせた。ビールや酎ハイはあっという間になくなり、安い日本酒やウイスキーに手が伸び始める。酒を胃袋に入れてはトイレにもどし部屋に戻ってまた飲まされる。彼らは辛くて面倒な毎日を忘れようと必死だった。最初こそ飲ませ飲まされの不毛なつぶし合いが勃発していたものの、その日はわずか二時間で総勢10人の内の半分が寝息を立て始めていた。もう半分は大学生活への愚痴や不満をしみじみ語り合い、先ほどまで騒がしかった部屋はいまやお通夜のようになっている。西窪直人は部屋の隅にうずくまり寝たふりをしていた。彼は飲み会は嫌いではないが、酒にはむしろ弱い方である。二日酔いにならない程度に楽しく飲んで後はつぶれたふりをするというのが彼の常套手段であった。加えてその日は日曜日。明日はまた朝から夕方まで講義がある。先日の試験の結果が芳しくなかった以上、できるだけ出席数で評価を稼ぐしかない。折しも去年留年して直人と同学年になった男が今そばで愚痴をぶちまけているが、ああはなりたくないというのが直人の、いや世間一般の感想である。時計をこっそり見ればもう深夜一時半。彼はむくりと立ち上がり、隣で寝転がっている同級生を揺さぶる。
 「起きろコテツ。帰るぞ」
 コテツと呼ばれた女性はしばらく揺すられていたが、程なくして目を覚ました。目を擦って直人の顔を見ると、こくりと頷いて手を差しのばす。直人はその軽い身体を引っ張りあげ、肩を担いで玄関を目指して歩き始めた。途中冷やかしの声と帰すまいとする手が伸びてくるがなんとか躱し、いったん彼女を玄関前に下ろして靴を履く。付き合っているとかそういう関係ではない、そう何度言っても彼らは信じない。だが正直自分が向こうの立場でも信じないだろうとは思う。
 「ほれ、靴だ」
 「うん」
 コテツは寝ぼけ眼で差し出されたクロックスに足を突っ込んだ。彼女は酔うと従順になる癖がある。彼女が両足履き終えたのを確認すると、直人はこれ以上ちょっかいを出されないうちにと素早くコテツを担いで同級生の家を出た。
 「ごめんね、毎回送ってもらって」
 本当にごめん、彼女はろれつの回らない口調で道中何度もそう謝る。彼女、峰山虎徹は俗にいう懺悔型で、酒が入ると従順になって謝り続ける。酒に弱いくせに差し出されたグラスは断らずに飲んでしまうので、結果すぐに酔いつぶれてしまうのだ。その上最近は直人にかけられたコール――酒を飲ませるためのかけ声のことだ――を横取りして勝手に飲んでしまう。いろいろストレスやら何やら溜まっているんだろうか。本人にきいても何もないというし実際そこまで何かに悩んでいるようにも見えないので、単純に酒が好きなのだろうと直人は結論づけていた。途切れ途切れに隣から漏れ出す謝罪を聞き流しつつ彼は虎徹のアパートを目指し歩く。気付けばもう大学も三年目。魔物娘というファンタジーから出てきたような存在がこの現代社会に露わになって、そして虎徹との奇妙な関係が始まってから、もう一年になるのだ。あの日の衝撃は今でも鮮明に思い出すことができる。
 彼女らは一般国民が知らないうちに全世界の政府と権力者へ緻密な手回しをしていたらしい。ある日突然魔物娘という存在は政府によって明らかにされた。はじめはもちろん信じない人、恐れる人、怒り暴動を起こす人が少なからず見られたが、彼女らのその性質と態度によってそういった動きは急速に小さくなっていった。人に危害を加えるわけでも食料や仕事を奪うわけでもなく、意思疎通ができるどころか容姿端麗にして驕らず、さらには見返りを求めずに新しい技術や知識、そしてなによりも快楽を与える存在。ほとんど完璧とも思える彼女らを敵視する勢力は人魔両方からの平和的圧力によりほぼゼロになった。
 直人はといえばまだまだ性欲の盛んな大学生であったし、当然彼女らを歓迎した。そしてそれは男子大学生のほとんどにおいて同じであった。女子に関しては自分たちより容姿も性格も優れた存在が増えるということでおそらく一定の反対派はいたと思うが、理由が理由だし魔物になろうと思えば簡単になれたので表面化はしなかったのだろう。
 だが直人は男女交際においてはやや無欲であった。中学生の時に二年間ほど同級生の女子と付き合っていたことがあるが、卒業する前に向こうからフラれてしまった。理由はあまり教えてくれなかったが、きっと別にいい男ができたのだろうと彼は思っている。だが彼は特段悔しいとは思わなかった。自分でも理由はよくわからない。強いていうならば男友達と遊んでいる時の方が充足感があった。一応述べておくと直人は男が好きなわけではない。好きな女性アイドルもいるし自慰はス
[3]次へ
ページ移動[1 2 3 4 5 6 7]
[7]TOP
[0]投票 [*]感想
まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33