毒食らわば皿まで

 和樹の腕ががっしりと掴まれる。最初に毒に侵されたあの日のように。違うのは、今日は両腕をどちらも掴まれているということだった。ぷにぷにとした肉球と冷たくなめらかな鉤爪が火照った肌に心地良い。
 棘に貫かれた瞬間走ったあの鋭い痛みはもうない。その代わりに、燃えているのではないかと思うほどに熱かった。和樹はどこか超然とした目つきで、自分の手の甲から飛び出している白い棘を見つめる。
 焔子の両手が持ち上がると、掴まれていた和樹の両腕も持ち上がり…ずるりと棘から引き抜かれた。動かせば痛むかと身構えたもののやはり強烈な熱さしか感じない。痛覚が麻痺しているのだろうか?
 「あーあ。本当は明日まで…怖がらして、焦らすつもりだったんだけどよ」
 驚いたことに、棘が両手の甲に開けた一円玉ほどの穴は何もせずともみるみるうちに閉じていく。数秒もしないうちに傷跡さえなくなって、どこが刺されたのかもわからなくなってしまった。
 「きひひ…バレちったな。別に舐めなくてもアタシの棘の傷は治るんだ」
 「ほ、焔子さん…?」
 和樹は訳がわからなかった。傷のこともそうだが、焔子のことだ。彼女の言葉に逆らった挙句、どさくさに紛れて告白までして。そのせいで彼女を怒らせたから、罰として手を棘で痛めつけられたのだと思っていたのだ。だが彼女はそう独白したきり…殴るでもなく蹴るでもなく和樹の両腕を掴んだまま、じっと見つめてくるのみ。
 これも見たことのない表情だ。和樹はそう思った。諦観、だろうか。一種の儚さのようなものを帯びたその顔は夕日に照らされて、どうしようもなく綺麗だった。和樹はただぼうっと見とれていた。今日は焔子さんのいろんな表情が見られるなぁなどと思いながら。
 「…あーあ」
 焔子はもう一度そうため息をついて掴んでいた和樹の両腕をぱっと離しそっぽを向いて、右手でくしゃくしゃと頭をかいた。

 「まあ、いいか」
 「う…っ!」
 突如体に強い衝撃が加わると同時に、世界がぐるりと回った。一瞬天井が見えて、すぐに視界は焔子の顔と体でいっぱいになる。押し倒されたのだ、数秒遅れてそう気づいた。いつかと同じ、マウントポジションだった。腹にずしりとした重みを感じる。両手両脚は自由ではあるものの、体は全く動かすことができない。猫に押さえつけられたネズミのようだ。焔子は右手で和樹の胸板を押さえつけ、左手で臙脂色の髪をかき上げた。窓から差し込む西日に照らされて、彼女の表情が露わになる。
 「………あ…っ」
 和樹は息を飲んだ。先ほどまでしおらしげだった焔子の表情は一転、恐ろしいほどの色欲で染め上げられていたのだ。上気した顔、据わった目に、荒く深い呼吸。さながらシマウマを捕らえこれから食らおうとしているライオンだ。思わず和樹の表情に怯えが走る。
 「……こりゃだめだ、我慢できねえ」
 焔子はぽそりと呟くと舌をべろりと出して唇を舐めた。それと同時に──。
 「ぅあっ…!?」
 突如として強烈な快感が和樹を襲う。全身がびくんと跳ねた。気づけば陰茎がひんやりとした空気に晒されている。どうやら陰茎が尻尾から一気に引き抜かれたようだった。大量の襞が生む快楽を一瞬で叩き込まれ、瞬間頭がぼうっとする。
 「あー…かわいいな、くそ…」
 恐怖と快感を行ったり来たりする和樹の表情を、焔子はぶつぶつと呟きながら見つめている。和樹はといえば、先ほどからいまいち何を考えているのかわからない焔子に翻弄されつつ困惑の眼差しを投げ返すことしかできない。
 「あ、あのっ…焔子さん…?」
 「和樹お前…最初に搾ってやったとき、何でもアタシの言うこと聞くって言ったよな?はい、ってちゃんと答えたよなぁ」
 和樹を遮るようにして焔子が尋ねてくる。
 (…えっと…確か、あの…僕が怒鳴っちゃった日だ)
 この先アタシの言うこと全部聞くなら。おぼろげな記憶の中で焔子がそう言っていたのが脳裏に蘇ってきた。息も絶え絶えではあったと思うが…はいと、確かにそう返事をした覚えがある。
 (…でも)
 あれは毒抜きの交換条件だったはずだ。毒抜きなんてもういいといったばかりだし、今さっき新たに棘が刺さったばかりだし、そもそも明日でこの恋人ごっこは終わってしまう。そんな諸々の疑念を、次に焔子が言った言葉がすべて吹っ飛ばしてしまった。



 「…アタシと付き合え」
 誰もいない放課後の教室に、高圧的な声が響いた。









 「…へ…?」
 わからない。数学の問題集を眺めているとき並にわからなかった。どうやら自分は焔子に告白されているらしい。なぜかはわからない。脳裏に最初の日のあの光景がフラッシュバックする。
 罰ゲームだよ、ばーか。
 今回も?だとしたらどうして?罰ゲームだってバラしたことが見張り役にバレた?それで延長とか、そ
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