猫と同心

広い部屋があった。板間の其処には無数の文机が並べられ、墨と紙の香りが充満している。大勢の男達が忙しく動き回り、和紙で作られた書類を整理、閲覧していた。

 ふんだんに和紙が用いられた日本家屋の平屋、その一部であるこの部屋を徘徊するのは、月代を剃り、大のみの一刀差しを刺した武士の群れである。

 彼等は同心と呼ばれる幕臣の一種であり、現代における警察の巡査にあたる治安維持組織の構成員であった。皆一様に地味な色の羽織袴を纏っており、中には忙しさから裾を捲っている者もいる。

 そんな男共の中、部屋の隅で一人の男が眈々と調書をしたためていた。男の背は大して高くないが、身は引き締まり、如何にも武人といった雰囲気を纏わせているが……顔はそれに反し、実に穏やかなものだった。

 低い団子鼻と薄く大きい唇。細く、僅かに垂れているせいで眠いようにも、笑っているように見える目。それらのせいでどうにも同心特有の堅さや、強さといったものは感じられない。むしろ、何処ぞの商店で番頭でもやっている方が似合っている風情である。

 丁寧に結われた銀杏髷も、武士がするように前に伸ばすより、七分に曲げた商人のようにした方がずっと似合うだろう。

 「よう、。そっちは終わったかい」

 「栄介か。直に終わる」

 折り目正しく正座し、書面を書く優しげな男に声を掛ける者があった。強面で背は見上げるような大男。同じく同心で、彼の同期の栄介であった。

 「そろそろ巡察に出るか」

 「そうだな」

 対照的な両者は顔を合わせて示し合わせると、男は書面に走らせる筆を早め、栄介は自分が持っていた書面を書庫に仕舞いに向かう。

 数分と経たぬ内に男は書面を仕立て上げ、それを書庫に仕舞い込み、巡察に出るため番札をひっくり返して面に出た。

 紺足袋の上に雪駄を履き、刀の位置を直して外に出ると、そこには既に栄介が暇そうに待っていた。

 「すまぬ、待たせた」

 「うむ。では行くか」

 二人は同心であるが、その中でも添物書という中堅所の役職であり、この奉行所においては古参組の人間であった。

 そして、同心の勤めの一つとして一日一度の市中警邏を必ず行う事が含まれており、彼等はそれに出かけるのだ。

 奉行所を出て、門前の大路をまわり、町に出る。其処には大路ほど広くはないが、無数の商店が建ち並び、活気のある通りが広がっていた。

 此処、帝都の城下町は遙か遠くに城を望み、長く巨大な河を抱き、無数の家屋を抱えたこの極東最大の都市である。上下水と共用水場を備え、排泄場も設けられているため非常に衛生的で、活気に溢れていた。

 丁寧に舗装された道を歩き、周囲を眺める。数多の商店が軒を連ね、前には目を楽しませる商品が幾つも並んでいる。そして、物売り共が忙しく道を駆け回りながら声を張り上げ、女子達が寄り合って楽しげに会話をする様は平和その物である。

 「お、枝豆か……美味そうだな」

 栄介が通り過ぎた物売りの一人を見て言った。大きな籠を抱え、そこに茹でた枝豆を束にして幾つも載せている。さっと茹でられ、塩で揉まれた枝豆はとても甘美で食欲をそそる香りを漂わせていた。

 「ああ、夏だからな。季節物だしあれも良い」

 晴れ渡った空には肥え太った入道雲が立ち上り、目も眩むような光を放ちつつ御天道様が全盛の熱気をこれでもかと言わんばかりに誇示する今は、正に夏の盛り。水無月の半ばの町は、人の熱気と太陽の熱で蒸されるような暑さであった。

 「これで巡察中でなかったら是非とも摘みながら一杯やりたいもんだねぇ……」

 「そうだな。終わってからな」

 「はいはい、お堅いねぇ」

 強面の男と柔面の男は並び立って歩き、市街の主な部分を廻り、小さな路地を覗いて誰ぞ無法を犯す者は居ないかと探す。が、どこも平和そのもので彼等が刃を抜き放つことはなく、二刻程で巡回を終えてしまった。

 「やれ、平和で何よりだ」

 「そうだな……捕り物が無くて有り難い物だ」

 町を練り歩き、最後に奉行所に戻ってきた二人は先ほどの部屋に戻ると、自分の番板を取り上げ、懐に仕舞う。既に空は朱に染まる夕刻であるので、引き上げる時間なのだ。

 今日は夜勤ではないので帰りは早い。既に常勤の同心は多くが引き上げており、夜勤組の者達が仕事に備えてやって来ている。特に夜は犯罪が起きやすいので彼等も気を研ぎ澄ませていた。

 「さぁって……帰る前に一杯引っかけていくかい?」

 「いや、私はほれ、あれだ」

 「何だよ、付き合い悪いな……じゃあ、一人酒でもして帰えらぁ」

 栄介はそう言うと城下の町へと手を振って消えていった。これから何処かで酒を煽り、気が向いたら遊郭にしけ込んでから帰るのだろう。まだ暮れ六(現在の午後六時)、しか
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