第三話『番犬』

 壁の中から抜け出てきたそれは、強力な前肢の一撃で扉を吹き飛ばして、部屋の外に出てきてしまった。
 (なるほど、この場所が妙に広かったのは、棺を守る存在が十分な働きが出来るように、って訳かよ)
 キサラギは降ってきた石を避けつつ、グルリと周囲を見回してから低い唸り声を上げている最後の番人、いや、番犬を冷ややかな目で見つめた。
 『番犬』の体長は10m、肩までの高さは3mを有に超えているだろう。体重は石畳にはっきりと刻まれていく足跡から軽く見積もっても200kgはあるに違いない。
 そして、特徴的なのは頭部が二つ、と言う事。
 「オルトロス、か・・・・・・実物、しかも、生きてるのを拝めるとは冒険者冥利に尽きちまうな、まったくよ」
 魔獣の中でも最高位の戦闘力を持つオルトロス。それぞれに意思を持つ双頭からは地獄の業火を吐き、視界に入る全ての敵を焼き払う、と言われている凶暴かつ残忍な種だ。また、石の壁をまるで砂糖菓子のようにいとも容易に打ち砕いた事からも窺えるように、四肢での攻撃も半端ではない。
 しかし、数十年前に魔王に代替わりをし、敗れ去った先代・魔王の恩恵を受けていた他の魔族や魔獣と共に滅びの道を辿り、今ではこの世界に存在していない・・・はずだった。
 キサラギも図書館の片隅に置かれていた、古代史を纏めた書物の挿絵で見た事があるだけで、まさか、自分の前に現れるとは予想もしていなかった。
 入る前に目を通させて貰った調査書によれば、この遺跡は少なくとも百年以上前の物らしい。
 恐らくは、この遺跡を建てさせた王が自分の眠る棺を守らせる為に、当時はまだ、堂々と闊歩していたオルトロスを捕らえてきて壁の中に封印したのだろう。武・知・運を兼ね備えた者がこの遺跡の最下部まで下りて来てしまった時、その者を速やかに排除するよう命令をして。
 もしかすると、首輪に隷属魔術が組み込まれているのかも知れない、とキサラギは思ったが、命令があろうと無かろうと餓えているオロトロスは侵入者を食い殺すに違いない、と口の端を吊り上げた。
 キサラギが思った通り、体感時間はわずか数日である可能性はあったが、百年近くも飲まず食わずを強いられていたオルトロスの彼を見る目の色は番犬ではなく、捕食者のそれだった。
 しょうがない、と思いつつも、かつて食物連鎖の上位に位置していた猛者と戦えるとなれば、芯のある強さを得たいが為に世界中を回ろうと決めているキサラギの頬が自然と緩んでしまうのも無理のない話だった。
 ゆっくりと刀を抜き、凛とした構えを取ったキサラギ。
 自分と比べたらちっぽけな餌が、それなりの抵抗をして来そうだと直感したらしいオルトロスの右側の頭は警戒するように低く濁った唸り声を漏らし、左側の頭は久しぶりに楽しめそうな狩りの予感に剥き出した牙の隙間から、鼻がひん曲がってしまいそうな悪臭を放つ涎を石畳に溢し出す。
 先に動いたのは、実力的に大きく劣るキサラギだった。
 (先手必勝!!)
 全力で石畳を蹴ったキサラギは一瞬で、オルトロスの腹の下へと潜り込んだ。
 そうして、腹を切り裂いてやろうと刀を素早く振ったが、巨躯に見合わぬ敏捷さでオルトロスはキサラギの一閃を避けて見せた。
 さすがに、完全には避けられなかったのか、刃先は皮一枚を切ったようで、天井まで飛び上がり、壁を蹴って着地したオルトロスの腹部からは真紅の血が幾らか滴り落ちた。
 命が天秤に載せられた戦いなのだから、緊張感を持たねばと思うキサラギだったが、どうしても口元の笑みを引っ込める事が出来ないでいた。
 (真剣勝負となると、嫌でも自分の未熟さが露になっちまうなぁ、おい)
 毒を含んでいる可能性もあるのでカッコつけて舐めずに刀を振って、刃先の血を飛ばしたキサラギは構え直す。
 キサラギが負わせたのは、致命傷どころか浅手にすらなっていない一太刀だったが、オルトロスを更に興奮させるには十分だったようだ。
 今度は、逆にオルトロスからキサラギに突っ込んできた。
 内心でこそ、オルトロスのスピードに驚きつつも、左の頭が繰り出してきた強烈な一噛みを宙で半回転して躱したキサラギは右の頭の眉間を斬りつける。 そうして、オルトロスの背に乗ると、尾まで一気に駆け抜ける。
 キサラギが着地し、オルトロスが壁にぶつかる間際で方向転換をした瞬間、オルトロスの巨大な胴体に刻まれた多くの細かい傷が一気に開き、鮮血が宙に舞い散る。
 刃に感じた感触は思っていたよりも固かった。やはり、まともに切れたのは皮までのようだ。
 (もっと力を入れないと駄目かぁ?)
 体格差がここまである以上は動きを止めず、手数で攻めようと思っていたのだが、あまりダメージを負わせられないのでは、オルトロスを翻弄するべく動いた分だけ、無駄に体力を消耗してしまうだけで
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