俺は幼い頃に神隠しにあった事があるらしい。
『らしい』というのは、自分でも記憶が曖昧なせいだ。
朧げな記憶を探ると、星の輝く夜空から降り注ぐ月光。
それに照らされて聳え立つ黒い建物群。
当時の覚えているのは、人一人居ないようなその世界で女の人に連れられて歩いた記憶しかない。
あまりの現実感の無さに夢だとばかり思っていたが、気になって昔話をした所、親から警察に連絡する所だったと話された事がある。
ほぼ丸一日帰らず、『当時は母さんが泣き喚いて大変だった』と父さんが言っていた。
母さんは母さんで、『確か父さんはお前の頭に拳骨を一発入れた後、お前を泣きながら抱き締めたのよ』と語っていた。
愛情深いのは有難いが、恐らく記憶が曖昧なのは父さんのせいではなかろうか。
今、自分はその記憶を辿っている。
だが追体験とは違うのは目の前に幼い自分が居る事だ。
魔法か魔術を使っているのか。
人間では有り得ない高度から見下ろす視点は、まだ中性的な少年の顔が拡大され、そこに映りこんだ映像を見ている形となっている。
少年は帰り道が分からないのか影絵の街並みを歩き続ける。
気づいていないのだろうが、建物の陰から、陰の影からゴースト達が興味と警戒を混ぜた視線を送っているのが今の自分には分かった。
借り物のような視点だが、徐々に記憶が掘り起こされてくる。
此処が何処だか分からない。
来た時歩いたのは何の変哲も無い舗装路で、明るい昼間だった筈だ。
デジタル表示の腕時計を見ても昼の12時を過ぎた位なのに、深夜のように真っ暗な光景。
両端に聳え立つ黒い建物群の街並は、まるで壁のように聳え立ち広い石畳の舗装路は一直線に地平まで伸びて歩く事を強要する。
もう帰れないんじゃないか、という不安を通り越して諦めかけた。
極端に色彩の少ない世界の中で自分だけが異色。
煌々と輝く月の光が唯一自分と共通項を持つように思い、縋る様な気持ちで空を見上げた記憶が蘇る。
丁度、視点の自分と記憶の自分の目が合う。
心臓が跳ね上がったような衝撃が走った途端、少年に救いの手が差し伸べられた。
『どうしましたの?こんな夜中に出歩いては、怖い人に連れて行かれますわよ?』
何時の間に居たのか、胸元を大きく開いた濃い紫のドレスに白金の髪を結い上げた紅い瞳の女性が声を掛ける。
身に付けた貴金属の装飾はドレスに合わせた薄い紫の宝石が嵌め込まれており、普通であればその装飾にまず目を奪われかねない。
その美しさが更に声を掛けた女性そのものの美しさを引き立たせ、身に付けている全てと女性はこの状態が一つの完成形である様を見せていた。
一瞬で惹き込まれた少年は、何も返せない。頭の片隅で日本語通じるかな、等と浮かべるのが精一杯だ。
その様子に頬に手を当て、小首を傾げた女性が訝しげに続ける。
『あら?言葉が通じなかったのでしょうか…ジパングの言語ではなかったのかしら』
慌てて応じる。表情は固いが、何とか最低限の言葉を紡ぐ事は出来た。
―――道に迷ったんです。
『あぁ良かった、通じていましたのね。私はミレニア・ヴォルドールと申します。宜しければ帰り道を教えて差し上げますわ』
その言葉に表情が大きく晴れる。
ミレニアさんはしゃがんだのか、目線が少年に合わさる。安堵した幼い自分の笑顔が正面に映る。
―――僕、帰れるんですか!?
『えぇ。貴方はどの道からここまで?心当たりはありますから教えて下さる?』
あっち、と自分の歩いてきた方角を指で示した。
それだけでミレニアさんは何かを察したようで、視線が再び少年を見下ろす形となる。ミレニアさんが立ち上がったのだろう。
『…あちらはこの間あの方が開いたゲートがある所ですわね。研究心が旺盛なのは構いませんが、困った方ですわ』
使わないドアなら閉めて下さいませんと、とミレニアさんはそう続けると反応に困る少年に手を差し伸べる。
『さぁ、参りましょう。お名前を伺っても宜しいかしら?』
当時の自分がその聞き方で理解できるのか不安だったが、名前を聞かれているという事は理解出来たようだ。
―――仲沢 公人(なかざわ きみひと)です。
『ふふ。では、短い間ですがお付き合い下さいな。公人さん♪』
幼い自分の顔が真っ赤になる。
そうだ、思い出した。年上のお姉さんが同い年位の女の子のような顔で柔らかい笑顔を向けたのだ。
幼いながらに可愛い、と思った。
思い起こせばもうこの時、既に自分の未来は決まってしまっていたのではないか。
そんな事を考えていると景色が流れていく。どうやら歩き出したようだ
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