四話

 


 キッチンから数歩歩いて開いた扉は、理不尽としか形容出来なかった。
 脱衣所あり。独立洗面台あり。首を動かせば洗濯機を置く専用スペースすら見つかった。
 そして何故か浴槽と脱衣所を仕切る扉のすぐ横に扇風機が置いてある。

 「単身の方には少々広い造りですが、広くて悪いという事はありません。のびのびと寛いで、日々の疲れを癒して頂けます」

 大人2、3人は優に行き来出来そうな幅と奥行きである。
 
 「確かに広いですね。意外でした、ワンルームって狭い面積に必要最低限の生活環境を詰め込んだ印象しかないですけど。……ここ、本当にワンルームですか?」

 「勿論です。当物件は狭い日本の土地事情を憂慮し魔法で空間を広げられるようになっているのが特徴です。見かけ以上に広くご利用頂けるので、登記上はワンルーム物件ですが後ほどご相談頂ければ同じお部屋で部屋数を増やしたり更に広くご利用頂く事も出来ますよ」
 
 「……そういうのって構造上大丈夫なんですか? 倒壊とかありません? 」
 
 2DKや3LDKも可能とか、最早何でもありである。
 だがそのような事をしていたら建築物のバランスが崩れないだろうか。
 
 「ご心配には及びませんよ」

 多少打ち解けてきたからか、先程の営業用より親しみを込めた笑顔――というよりドヤ顔――で伊嘉瀬さんは説明を始めた。
 
 「内部構造はそのままに特定の空間だけ拡大、あるいは別空間への移動がドアを開ければ行えますので建築物そのものの堅牢性は変わらないんです。つまり、どれだけ広いお部屋にしても壁は抜かれませんし床の底抜けもありません」

 完全に魔法の域である。
 ファンタジー世界の住人から提供された技術があると分かっているものの、ここまで何でもありだと有り難い反面建設会社の未来を心配してしまう。
 
 「それに本物件は弊社が管理しお客様方へ提供する際に入念なチェックを行っています。いくら魔法や魔術で補強出来るといっても限界がありますので、専門業者に依頼致して老朽化や腐食している部分は徹底して改修・補強しその上で魔法的に補強しています。多分、ドラゴンが中で暴れない限り大丈夫だと思いますよ?」

 さらりと言ってのける彼女の発言内容に、しばし呆然とした。
 この物件、本当に3万5千円で良いのだろうか。
 そんな事を考えていると、既に伊嘉瀬さんは浴場への扉を開いていた。
 
 「さ、どうぞ
#9829;こちらが欲じょ……じゃなくて浴場への入り口ですよ
#9829; 」

 はっと意識を取り戻し、指し示された方向を見る。
 その瞬間、俺は口を開かずにはいられなかった。
 扉の向こうに何も無い。

 「あの……凄ぇ真っ暗なんですけど……? 電気、点けないんすか? 」
 
 染め上げたような真っ暗な空間が口を開けている。
 一切光が無いという生物的に警戒心を抱かせる光景を目の当たりにした俺から、自分でも分かるくらい強い不安を孕んだ声が零れ落ちる。
 声から不安を察したのか、苦笑しながら伊嘉瀬さんは答える。

 「この扉は言ってしまえば暗幕のようなものですよ、大島様。心中お察し致しますが、銭湯の暖簾をくぐるような気軽なお気持ちでお進み下さい」

 命の危険は全く無い、と暗に彼女はそう言っている。
 それを証明するように、彼女は何の気なしに扉の向こう側に消えていった。
 俺もそれを追うように、慌てて飛び込んでいく。
 軽い眩暈(めまい)のような感覚に襲われ目蓋が細まる。
 だが、次の瞬間目の前に飛び込んできた光景は細めた目蓋を見開かせるに充分なものだった。

 広い。
 部屋に換算すると5〜6帖はあるだろうか。
 そのまま寝そべれそうな洗浄スペースと、浴室内の約半分を占める浴槽が特に目立つ。
 一人用の風呂にしては破格の広さを誇るそれは、一般の跨いで入る種類のものではなく床とほぼ同じ高さに埋め込まれている類のものであった。
 
 「ここをご覧頂いた方は、皆さん驚かれます」

 何時の間にか隣には伊嘉瀬さんが居た。
 俺は彼女の台詞を反芻しながら、声には出さず納得する。
 
 それはそうだろう。
 俺のように予算も時間も限られている人間が『とりあえずすぐ住めればいい』という考えで選んだ物件が、まさかの大当たりなのだ。
 そいつらの気持ちは手に取るように理解出来る。
 俺の口角も自然と上向きになった。

 「お気に召して頂いたようで何よりです。……宜しければ少し、寛げるかお試しされますか? お湯は張れませんが手足を伸ばして感触を確かめるくらいは問題ありませんから」

 俺は頷くとそのままゆっくり伊嘉瀬さんに見送られながら浴槽に近づく。
 軽い段差に注意しながら槽内に収まると、言われたとおりに手足を伸ばす。
 170cm程
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