男は横になっていた。
動かすのは指先のみで、叩く、擦るを不規則に繰り返す。
音が鳴るわけではない。
形が変わるわけではない。
ただ、手の平に収まる位の小さな機械の発する光が男の顔を照らすだけである。
「なんだよ……朝までは普通に動いてたじゃんか……」
視線は小さな画面に釘付けになりながら、酷く悔しそうな声を上げる男。
小さな画面から光に照らされる顔は眉根に皺を寄せた、しかめっ面である。
理不尽に対する怒り。
それに対せぬ悔しさ。
ただただ小さな機械を通してしか己の関わった世界を覗くしかない卑小さが、体の芯に沁みるのだ。
「帰ってきたらエラーで起動すらしない……あれ一台しか使えないのにさ……。はは、SS書いたって続けられなきゃ意味ねーじゃん……」
最早涙も枯れ果てたのか。
濁った瞳はかつて自分が投稿していたサイトを小さな画面で覗くのが関の山。
布団に包まり遠い世界を見る以外出来ない無力な存在として己を受け入れている。
今、男の状態を的確に表すなら『不貞寝』というのが一番しっくりくるだろう。
「……そういえば。使い道の無いHDDがまだあったような……この前PC組み直した時にHDDも新しくしたから、前のPCと合わせてサブ機にする予定だったな」
あまり働かない脳でも得た記憶は残っているようで、当人がとっくに忘れて久しい情報が天啓よろしく男の脳裏に浮かんできた。
使わず久しいとはいえ、これはいけるのではないか。
使用しているOSは同じだし、上手くすれば起動しない現在のPCのドキュメントファイルにアクセスして書きかけのSSやダウンロードしたエロ画像が見れるのではないか。
何より余計な出費をしないで済む。
「…………いけるかもしれないな。でも問題は―――」
ログイン可能かどうか。
何か自分の知らない原因で自分がSS投稿者としてログイン出来なかったら、今まで投稿してきた作品の続きが書けないばかりか自分に票やコメントを入れてくれた人達の今までを切ってしまう。
作品はまだいいだろう。
バックアップも有る上、必要に応じれば過去の自作を閲覧してテキストとしてでもダウンロードすればいい。
だが、人は別だった。
「最悪……事情を乗っけて新しく名義作るか。前に近い名前なら違和感感じず接してくれるかもしれんしなぁ……」
淡い期待を胸に手の中の機械―――スマートフォンの電源を落す。
明日は早く起きて作業を開始しなければならない。
元にするHDDも使わなくなって久しいだろうし、ライセンス認証も必要だろう。
「明日、早めに起きて作業するかねぇ―――……」
画面を見続けた時間が長かったのか。
それとも泣き疲れて起きていられなくなったのか。
男は夢すら見れぬのか、心地よい暖かさの中で暗くなる視界に意識を手放した。
男が寝入って数時間後、男の寝床に変化があった。
薄暗がりの中に小さな、淡い光が灯ったのだ。
それは電源を落した筈のスマートフォンであったのだが、既に男の手からは離れており男が電源を入れたわけではない。
アラームも深夜に差し掛かる時間に掛ける必要がないのは、先の男の発言で明白である。
つまりこれは、男の意図しない出来事であった。
――――――あは、あはははは♪
何処からか声が響く。
それは音を伴わず、しかし明確に人々に届く声だった。
涼やかなようであり、甘えたようであり、弄ぶような楽しさを秘めた声。
――――――あはははははははははははは♪
お気に入りの玩具箱から、目隠しをして玩具を取り出すような声。
ただしそれは気に入らなければ放り投げ、また新しい玩具を探すような残酷な幼児性も備えていた。
光は段々と大きくなる。
不思議な事に男は起きないが、怪現象は尚も続き――――――
――――――さぁーて今回は……あ、なぁーんだ。また普通の人だ。外れちゃったなぁ……あ、そうだ!
最高潮に達したのか。
瞬間、爆発したような勢いに膨れ上がった光は男を布団ごと飲み込む。
、
――――――悪くは無いけど扱いに困るし、あの子の所に送ってみようっ!うふふふ♪私ってば親切〜〜っ!
猛烈な光の奔流が収まった後には、男の寝ているであろう布団は何処にも何も無かった。
甘ったるい香りが鼻腔をくすぐる世界で男は薄目を開いた。
ネギ臭い悪臭や起き抜けにくしゃみを連発する埃が舞い立つ自室ではない。
顔に感じる風は冬の冷気ではなく春の陽気のような暖かさなのだ。
始めは二度寝でもしようかと思っていた男だが、一度目覚め掛けた意識が事の異常さに気づくとそんな感情は吹き飛んでし
[3]
次へ
ページ移動[1
2 3 4]
[7]
TOP[0]
投票 [*]
感想