誘うように消えた少女を追った先。
そこは男女共通の生理現象を消化する場所だった。
本来男子禁制の領域。
望む望まぬを考えても一度踏み込めば社会的信用の失墜は免れぬそこへ、俺は堂々と踏み込んだ。
虎穴に入らずんば虎児を得ず。
だが、この場合は虎児が親の居ぬ間に呼んでいるのだ。
なら行くしかないじゃないか!
「お邪魔しまーす、と」
キィ、と潤滑油がそれ程塗布されていないのか小さい悲鳴を上げる扉。
軽い挨拶をして、目的である少女を探す。
「何処にいるのかなー?…って、丸分かりなんだけどねー♪」
扉を開いてすぐ左奥。
あからさまに誰か居る事を示唆するように奥の個室は閉まっていた。
その様子に、ただ開けるだけでは勿体無く感じてしまう。
(そうだ。ちょっと焦らしてみるか?)
何せこちらを誘うように移動しているのだ。
終着点が個室なら目的は限定される。
こちらは男。向こうは女だ。
やる事なんて決まりきっているだろう。
「好き者には今後の為に、ちょっとお仕置きだな…」
小さく自分以外聞こえない程度の声が漏れる。
俺も彼女の気持ちに応えたいが、心の準備は必要だろう。
「どこだろうな〜、暗くて分からないな〜。…ここかな〜?」
一番手前の扉を開け放たれている、少し大きめにスペースのとられている個室。
懐中電灯で照らすが、当然中には誰も居ない。
「隣かな〜?…残念、居ないな〜」
次も同じように懐中電灯で照らす。
映るのは無人の個室のみ。その隣、その隣とぞんざいに眺めては進む。
最後の個室の前に立つ。だが、ノックはしない。扉も開けない。
「ここにも誰も居ないんだろうな〜。仕方ない、帰るか〜」
わざとらしく声を張って話しかける。
ここで俺に帰られては困るだろ?さあ、俺はここに居るから、ドアを開けるんだ。
話しかけてから数分待つ。
予想に反して、鍵の開く音も奥で動く音もしない。
「…え、ちょっと。俺帰っちゃうよ?いいの?」
俺の声だけが小さく木霊する。
そこに何も居ないのが当然、というかのように微動だにしないドアに俺は軽く苛立った。
「君だって期待してここに居るんだろ?わざわざ俺を誘ったんだからさ!開けてくれよ!」
少し乱暴にドアを叩くと扉が開く。
予想外に大きな軋みを立てて開くその中には、誰も居なかった。
「……あれ?」
先程の少女は何処だ?個室のドアが閉まっている以上、ここにしか居ないのではないのか?
まさか、担がれたのか!?
自分が見ていたのは小さく軋んで動く女子トイレのドア。
そして閉められたドアのある個室だけだ。
予め仕込んでおけば、あたかもその中に駆け込んだように見えなくもない。
では彼女は何処に消えたのか?
「他に可能性があるとすると、向かいの資料室か空き教室だよな…」
仕方ない、鬼ごっこに付き合うとしよう。
そう思い急に醒めた頭を抱えて女子トイレを出ようとドアを押す。
ドアの軋む音が聞こえる。
背後から。
思わず振り返ってしまう。
そこには、先程開け放った筈の個室のドアがピッタリと閉まった状態となっていた。
但し先程と違うのは、何か得体の知れない空気が満たされ始めている事だ。
今迂闊に近寄ったら間違いなく自分にとって良からぬ事が起きる。
生存本能とでもいえばいいのか、俺の感はそう告げていた。
「た、立て付けが悪いのかもなぁ此処のドア。きっと此処には居ないだろ。次行こう」
後ろを向いてドアを開ける。
たったこれだけの事があまりにも困難だった。
後ろ手をトイレのドアに添えながら微動だに出来ず女子トイレ奥のドアをじっと見ている状態だ。
もし第三者が今の俺を見ていれば、きっと指を指して笑ったろう。
だが、本人としては至って真剣だ。
何にとは分からないが、今後ろを向いても確実に何か起こる。
そう確信せざるを得ない予感が、たかだか閉まっただけのドアからしていた。
「ドア開けるのに、後ろ向きじゃいけないなんて法律はないよな、このまま開けても全然おかしくなんてないんだ」
耳鳴りがしそうな程の緊張感の中、俺は誰に聞かせるでもなく一人ごちた。
そうだ。後ろ向きに開ければ仮に何があっても見逃さないだろう。
開けて、出て、離れる。
たったそれだけの簡単な事だ。
さぁやれ。今だ。此処が最上階だし、和夫にさえ会えば何とでもなる。
女の子だってきっと同じように先に進んだんだ。
これは手の込んだ悪戯なんだから、動いたって何も起こりゃしないんだ。
だから、そう。
徐々に隙間を広げる個室のドアだって、きっと見間違いなんだ。
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